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きくおの商品を売る企業、という存在が発生すると、脊髄で書いている感じの宣伝文句が発生することが多々あり、具体的に言うとTwitterプロフィールの一言目をそのままコピペ、Wikiの概要をそのままコピペなどがあるんだけど、
タイミングが来たらTwitterプロフの一言目を餓鬼道系VTuberにしてみたいと考えている

mp3は違法で、DTMは極めて陰湿で卑屈なオタクの趣味、音楽以下のなにかで、ボカロはアマチュアやバンドマン崩れの流刑地で、一本wavは大罪で、そういう日陰に長いこといすぎた。
もう戦争はとっくに終わっていたのだ。下の世代の話を積極的に聞きにいかないと道を誤るよホントに・・・。

ボカロコアリスナーとポップスライトリスナーの垣根が完全消失してる、って話を友達から聞いて感心した。

ボカロコアリスナーが面白がる。
面白いらしい、流行ってるらしい、と聞きつけたポップスライトリスナーが何の抵抗感もなく群がる。
だから、コア好みなボカロ曲が爆発的に人気になる現象がそこかしこで起きていると。
すごいね。シーンの成長のお手本そのものだ。

「作曲」という語の定義。一本wavの一般化。ボカロ曲の商業化。
ここのところ価値観のアプデが多い。

あとDTMもそうなんだけど、身体性が一切ないのがいい。運動神経にあんまり自信ないから。w
スプラとか格ゲーとかレーシングの類は身体性が必要だからなあ。だからAmong Usもかなり好きだったな。
でも卓球は好きなんだよな。そこは謎。

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将棋にチェスに、そういうの特別得意なわけじゃないんだけどね。やっている時間が好きなんだよね昔から。
なんでだろ。人間に対して、気持ちや機嫌や体格差や社会などを一切考慮せずに、思いっきり悪意や謀略をぶつけていいからっていうのはひとつある。気疲れがなくてスッキリしてて自分を解放できるっていうか。

Chess.comラピッドレート1200もう一度突破できた!
中央値が730で、1000超えれば遊びでチェスをやってる相手にはまず負けないぐらい強いらしく、中級者に手が届くか届かないかの辺りらしい。頭いいって褒められてるみたいでうれしいな。

ちなみに、コンセプトからメロディから編曲から全要素のクオリティがカンストしている上で超有名な超名曲というものもあり、手が届く気がしないのでそっち方面は考えないようにしている。
youtube.com/watch?v=XazyhnymUQ

何がしかの主題歌になるとか、そういう座組が最初から組まれていて、それに向けて曲を作るとどうしたって消極的な曲にはなっちゃうよな。

元々そんなことまで決まっておらず、数ある曲のうちのひとつとして作って、後から聞いたらなんか売れる気がしたからプロモーションした、って方向だとおもしろい感じになるわな。
あと大ヒットなんかまったく想定されずに頼まれたやつとかね。

だからめざせポケモンマスターはすごいんだよな。アニポケの主題歌作ってくれってことであの攻め方ができるのは、ある種の先天的な精神性の持ち主だけだと思う。。

当然、メロディ、詞、当てているコードのレベルが飛び抜けて良いために、添える程度のアレンジが望ましいのでこれが最適解だという一般論的な捉え方はあるけど、俺にはわかる。
これは絶対にかなりタイトなスケジュールでやった編曲であり、このバランスは偶発的なものだ。

だから多分、この手の曲は再現性がないと考えるのが妥当で、つまりこういう曲を作るには、100の小ヒットを作ればよいという逆説的な結論に至るがどうか。

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俺は一体どんな音楽が好きで曲作ってるのか?っていうと、ただ見たことのない新しいものが見たいだけ。それだけが俺の純粋な喜びなんよ。

アタ川殴打
ディケ山田のこる
サスティン原ジゾク
リリ沢凍太郎

「社会の頂点」ではなく「社会の最深部」という表現のほうが近いんじゃないか、という気がしてる。

ヒカキンで例えるなら、あれは「YouTuberの頂点」というより、「YouTuberの最深部」にたどり着いているって方が表現として的確じゃないかなっていう。
内情、重圧、見返り、注目度、社会性の濃度、後戻りのできなさ、一般人からの状況の見えなさ、あらゆる意味で。

これがチェス風格闘ゲームと揶揄されるバカのルール、1分切れブレットの最終局面。
負けを悟って時間切れ勝ちを狙い逃げ散らかす俺と、血眼の全力ダッシュで首を狩りにくる相手。

持ち時間1分切れ負け、1手約1秒というアホのチェス、Bullet 大体爆笑しながらやる

単に歌手それぞれの好みというレベルの話でなく、根源的な部分が両者バックリと違うのではという仮説を立てている。
たとえば前者はあまり人の曲を歌わない気がするんだよね。歌うにしても、そういう姿を人前で見せることはほぼない。後者はいろんな人の曲を楽しく歌って、人前でも割とよく見せる感じ。

創造が好きなのか、解釈が得意なのか。両者は根本的に別種な気がしてならないんだよなー。どうなんだろうな。

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創作者タイプの歌手と演奏家タイプの歌手について考えている。

決して飛び抜けて上手いわけではないが、強力な一貫性と、クッキリと好き嫌いが分かれるレベルのアクがあり、勢いと魅力でゴリ押しているのが前者。
飛び抜けて上手いが、作家性やテーマの一貫性がいまひとつボヤけているのが後者。

社会性がなくて仕事ができないから音楽に全賭けしたのに、音楽でうまく行くと社会性や仕事力を求められだすジレンマはどうしたもんかってのはずっと思ってる

ボカロ曲なぞ所詮ネットの辺境の音楽シーンで、流行りのボカロ曲ってものがいかに辺境の民の民族音楽かってのは、ネットに疎い多数の人に曲ぶつけて反応見ると如実に明らかになるよな。

友達といっしょにいるときも、その時に流す曲がLoFi Hiphopが合うときもあれば、EDMが合うときもあれば、ボカロ曲メドレーが合うときもあるんだわ。波長というのかバイブスというのか。あるじゃんそういうの。
ボーエンさん乗せて運転してたとき、80'sシティポップが合ったのは面白かったな。その人といっしょにいて合う波長の曲ってのを探るの面白くて好きなんだよな。

まあそういう時に、人気とはポップとは何だろうかって悩んじゃうし、型通りのものを作ってみるときもあり、いまだ答えは出てないけども「どう面白がられるか」っていうのが鍵かなあって今は考えてる。

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