「歌ってみた」という語はそもそもインターネット発祥なわけ。だってそうでないものはカバーと呼ばれるからね。
だからそれは「インターネット音楽を歌ってみた」という意味であって、曲と歌手のどちらもネット主体のインディーズ、それを表現する新語が生まれて定着したってこと。
これを敷衍すると、「インターネット音楽(は歌唱曲としてのクオリティは低いが、それを面白がって)歌ってみた」という解釈ができる。
歌唱曲として完成された名曲や、人間の歌う新曲ではなく、わざわざネットスラムの音楽を歌うわけだから。
ということは、ボカロ曲ってのはそもそも人間の歌唱って部分にまったく立脚していない、発想の根源がまったく別ってこと。そしてそれはクオリティの低さと本質的にセットなんだよね。
だから新しくて面白くて雑多で、意外なことがたくさん起きて、話題に事欠かないわけ。
歌唱曲としてのクオリティは上がる、つまりいい曲にはなるのだろうけど、突飛なオモシロイ作品づくりって点ではどうかなあと思ったりするね。
まあ言うて結局バランスが大事だとも思う。
多くの人間が歌いやすい音域と、ボカロの歌が魅力的になる音域や歌い方には当然かなりの開きがあるよね。
そりゃ各々クオリティに開きはあるにせよ、歌としてのクオリティを無視してアホみたいにボカロをいじるという後者の態度の方が、「歌としては不自然だがインターネット音楽としてはオモシロイ作品」が誕生する傾向が強いわけよな。
ところできくお曲は歌いにくいと評判であるが、半分は意図的に、半分はただの天然でそうなってる。
https://twitter.com/siy6u/status/1706891955110924675
https://www.youtube.com/watch?v=uZjr9r1Jd2c
耳にうるさい帯域をまったく削らず、むしろ尖らせて立たせて、バランスが悪いのでVUメーターも全然振り切れてないのにむちゃくちゃいいMIX。
すげえなあ。
フライデーチャイナタウンもそうだけど、ちょっとMIXの常識を疑いつつあってさ。
真に良い音色であれば、どれだけ音量を増してもいいのではないか?
スペアナで見るともうだいぶご法度だよ。でも超気持ちいい。なら間違ってるのは常識の方だわな。
https://web.archive.org/web/20030824003218/http://www006.upp.so-net.ne.jp/kikk/kobanashi.html
中学二年生の時に書いた、幼少期から今までの思い出 という文章が実は残っている。
あまりに子供臭い恥ずかしい文章だけどまあそれはこの際いいよ。
今読んでみるとなんともまあ自閉くさくて面白いなあ~~~~
周りに全然興味を示さず一人でこだわり行動ばっかり。精神的にも、年齢の割に悪い意味で幼い感じがする。
今だって友達からオカシイオカシイ言われるわけだが、それにしたって、この資質を持っといてよくここまでコミュ力を鍛えられたもんだと思うよ我ながら・・・。
https://spotify.link/Qh2T3QxDbDb
やっぱどう考えても登場が10年早かった音楽だなと思うよ やっと追いついてきてる感じがあるが、当時はまだあまりに早すぎた
ボカロP