『
戦前の植民地朝鮮にルーツを持つ在日コリアンとしてここ日本で生まれ育った私にとって、収容所は馴染みのある言葉でした。
現在、在留資格の切れた外国人が収容される施設のうちの一つ、長崎県の大村入国管理センターは、かつて大村収容所という名前で、当時在日外国人のほとんどを占めていた朝鮮人が主に収容される施設でした。
子供の頃から親戚や知り合いの誰かが大村にいたという事があるという話はよく耳にしました。
子供がなにか悪い事をすると、大村に送るぞと、半ば冗談めかして脅かされるというのもよくある話でした。
子供心に物凄く怖いところなんだろうなと思っていました。
大村とともに大人たちからよく聞いたのが、外国人は煮て食おうと焼いて食おうと自由という言葉でした。朝鮮人はそういう扱いなんだと子供心に深く刷り込まれました。
これは1965年、当時の法務省入国管理局参事官が自らの著書に書いたものでした。
それから40年以上が過ぎ、日本で暮らす外国人は当時の5倍になり、在日コリアンは少数派になりました。
でも、今も各地に収容施設は存在し、それどころか収容中に亡くなる方も相次いでいます。
こうした状況、またそこへの対応、そして2021年に続いて提出された今回の入管法改正案。
』
ここで2023年4月21日の #入管法の改悪に反対する大集会でのハントンヒョンさんのスピーチを紹介。
『ここにいらっしゃる皆様もそうだと思うんですけど、人って、止むに止まれぬ事情があったり、もし無かったりしても、様々な理由で移動します。そして、その先で生活します。
国籍や在留資格という線引きは常に恣意的・流動的なもので、人はその線を跨ぎながら生活しています。そうした線引きの上にわたし達の日々の生活の営みがあります。
恣意的なそんな線引きと人々の生活の、どちらが大切でしょうか。
人々の生活のほうが大切だと言えるのが現在のわたし達だし、いまこの日本社会がそうと言って良い社会だと私は信じたいです。
人々の生活より恣意的な線引きが大切な筈はありません。
人権を守るという事はそういう事である筈です。』
https://docs.google.com/document/d/1IzE-o9IujTac3TDiLPOqB_MIU0j5z0rJsd8IAyY5yus/edit?usp=sharing
前も書いたけど、依存(アルコール、薬物、ギャンブルなど)をかかえた人の家族向けに描かれた漫画「だらしない夫じゃなくて依存症でした」もぜひ読んでほしい。
そして同じ作者さんが(親や自身が依存をかかえている)子供向けに描いた「母のお酒をやめさせたい」も。なお作者さんもネトゲやカフェインに依存していた過去があり、「母のお酒を~」のうち1エピソードの監修がナニゲに作者さん本人だったり。
https://read.amazon.com/kp/kshare?asin=B0B4WG1X9M&id=k5rgz55hnjblxczi6sm6wdigjm&ref_=r_sa_glf_b_0_hdrw_ss_AAu4AAA
https://a.co/ecprzcc
わけあってPaidy(カードなしでもネットショッピングなどで分割払いができるアプリとサービス)を使っており、一応Paidy用のクレジットカードも作って送ってもらったのだが、カードて大抵書留で届くもんだろと思ってたらまさかの普通郵便で届いた。いやアカウントと暇付いたアプリでアクティベーションしなきゃ使えないしカードに番号いっさい書いてないからこれでもいいということなんだろうけど「ぇえ…?」とはなった。
湯澤規子『「おふくろの味」幻想:誰が郷愁の味をつくったのか』(光文社新書、2023年)
「結論からいえば、古代、中世、近世、近代、そして現代に至るまでずっと変わらず「お母さんがごはんをつくってきた」というのは実は誤った認識である。明治・大正期の世相の変化を描いた柳田國男は次のように言っている。
温かい飯と味噌汁と浅漬と茶との生活は、実は現在の最小家族制が、やっとこしらえ上げた新様式であった。
両親とその子どもだけが構成員の、いわゆる「核家族」の誕生とそこで繰り広げられる料理や食卓の風景は、近代になってようやく登場した新しいスタイルだと柳川は言う」(37頁)
いらすとやに閃輝暗点のイラストあって噴いた。なんでもあるのないらすとや…
閃輝暗点のイラスト | かわいいフリー素材集 いらすとや
https://www.irasutoya.com/2017/03/blog-post_73.html?m=1
きのうは仕事終わってからずっとMSDマニュアル(メルクマニュアル)の家庭版のサイトを見てた。アメリカの製薬会社が提供してるいわゆる「家庭の医学」的なサイトなんだが、自分がかかったことのある病気だとか知らない病気だとかについてだらだら読んでるとそれだけでも時間がわりと溶ける。
https://www.msdmanuals.com/ja-jp/
日テレ「原作者である芦原さんのご意見をいただきながら脚本制作作業の話し合いを重ね、最終的に許諾をいただけた脚本を決定原稿とし、放送しております」
小学館役員「芦原先生のドラマ化に際しての要望を担当グループが日本テレビに伝え、制作、放映されました。担当グループは芦原先生に常に寄り添い、忠実に詳細に先方に伝え、対応しました。経緯をみると、昨春より担当グループは誠実に対応しています」
皆が批判してたこれとプチコミックの編集者一同が言ってること、私には同じ内容に見える。
違うのは「芦原先生がかわいそうだ」的な感情移入の言葉があったかどうかで、事実関係については「自分たちに責任はなかった」と主張する声明やんね。
プチコミックの編集者さんたちの言葉、寂しいとか何とかの感情の部分を取っ払ったら小学館が最初から言ってることとほぼ同じじゃない?
「芦原先生は納得していました」「私たちはちゃんと説明していました」「芦原先生も納得していました」(だから私たちの責任ではない)、と言ってない?
初老のおっさんです。最近ゲームばっかしてるのでゲームの話しかしないかもしれません。