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ひろゆきに代表される「冷笑的現実主義者」は、理想が現世で実現されないから「お花畑の綺麗ごと」と嘲笑することで、達成できなくても少しでも近づくために努力するという人間の生きる意味自体を、無意味化してしまいます。こうして何の努力もしない自分を「現実的」と誇ることこそ、現代の宿痾です。

理想が実現した世はユートピアであって、決して地上に現出することはないかもしれないけれど、少しでもそれに近づこうとする努力こそ大事なのです。それを最初から諦めては、生きる意味もなくなります。積読本だった、なだいなだ『権威と権力』を読んでつくづくそう感じます。

amazon.co.jp/権威と権力――いうことをきかせる原

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【FUCK①】生活支援員が観た映画「月」評~前編~ note.com/tokyonitro/n/n278f1eb

映画を見ていない私にも、この映画――そして綺麗ごとを冷笑したがる昨今の風潮の問題点がヴィヴィッドに心に響く文章でした。映画は見ないで、この文が広く読まれることを願います。

映画で醜く描かれている障碍者施設は、実際には障碍者の人権(綺麗ごとを冷笑したがる徒輩が蛇蝎のごとく嫌う言葉)を擁護するためにさまざまな努力をしているのです。もちろんそれが理想的とまではいえないにしても、理想に近づくために努力を積み重ねること、これが一番大事なのです。

この話で思い出したのが、ある同人作家がグランクラスのマークのステッカーを「同人サークルの頒布物として」作ってたという話。
twitter.com/dk_mjdsndi/status/

『サンド教授が言った「ハマスの活動家が古代のユダヤの民の子孫である確率は、私よりも大きいでしょう」という言葉を読むと、改めて軽い衝撃を受けます』 twitter.com/kawakami_yasu/stat

というか「A Year of Springs」もまだ(一応最後のエピソードまでは見たけど)全部のルート回ってないのだよな…前半でトランス差別の話が出てくるので結構つらいのだけれど、テーマ上避けられないんだよな。

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ツイッターより。このゲーム、どっかで見たなぁと思ったら前マストドンでこのゲームを推してる人がいたんだった。めっちゃやりたくなってきた。
twitter.com/daikai6/status/174

息子が18歳になりました長いからたたむ 

そんなわけで息子が18歳になりまして、これで私はシングル卒業なんだろうか?実家暮しのデキ婚からのずっと切迫で引越は医師の許可が下りず、元夫と暮らしたのは産後の3ヶ月くらい笑。ほぼフル18年ひとりで頑張った。うそ、お母さん(祖母)お世話になりました。ありがとう。
マンションも買ったし息子に歯科矯正もさせたし(リテーナーサボってボロボロだけど)私立高校にも行かせてあげられたし(通信に編入したが)、息子がどう思ってるかはわからないし反省点もたくさんあるけど頑張った。
産むのは無理だと思うと言った私をヒトデナシのように罵った元夫は差し押さえ以外に養育費払ってないんだけどどうなってるんだか。まぁいい。早くに出産できてよかったし、もともと子ども欲しくなかったからこんな機会なかったら出産してないだろうし色々学ばせて貰った。息子との出会いがなければ世の子どもを「シツケがなってないわね!」ってずっと思ってたし、歩道が斜めでベビーカーが押しにくいことを知ることもなかったね。
夕御飯は息子のリクエスト海鮮丼。卵焼いただけ。えへ。いつもこんな感じ。適当バンザイ。

とはいえ、「何を食い何を食わないかという選択にすら帯びる政治性」に気づけるか気づけないかというのも、その機会は限られてるし、機会だけでは気づきようがない、という部分があるのではないかとも思う。端的に言うと、知識や経験や個々人の性格や境遇みたいな。
おそらく「政治性に気づくことができた」というのは、ともすれば特権性を帯びるところもあるのだろう(それこそ特定のクラスタや層をwokeと揶揄的に呼ぶみたいなのがその現れなのかなと)。しかし、そういうのは越えなければならない問題点ではあるのだよな。どうすればいいのかはおれにはまだわからんけども。

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何を食い、何を(好き嫌いではなく)食わない、という選択も政治的なものをガッツリ帯びうるのだよなぁ、というのをマジでいまさらなんだが思い知る。そういった選択そのものがどうしても政治的な色をまとうがゆえに、われわれ一人ひとりが政治的なものからは絶対に逃げられないんだな…

ふと思い出したんだけど、20歳くらいのとき急にニキビがすごく出たときがあって、悩んで色んな病院に行ったんだけど、ある時エステサロンも併設されてる皮膚科に行ったの。おじいちゃん先生の皮膚科で診察を受けて、エステの方も一応話聞いてみる?と回されて行ったら、華やかに着飾ったレディな感じのおばあちゃんが出てきて、エステの勧誘とかは何もせずに「あなたね、今はしんどいかもしれないけど、これから良いことがいっぱいあるんだから元気出してね。」みたいなことだけ言われて帰されたことがあった。当時は不思議に思ったけど色々憂鬱だった時期で、おばあちゃんに肩をトントンされながらニキビ以外のつらいことについて涙ぐみながら話した。今思うと、見るからに死にそうだったんだろうな。赤の他人の私を大事に思ってくれた人のおかげで今があるんだなと思った。

鰤、何年食ってないだろうか…と思ったら鰤の照り焼きかなんかの缶詰を何ヶ月か前に食った気がする(なお、そこまでおいしい感じでもなかった覚えも)

鰤のサクが半額になってたから、ちょっと多いけど買ってしまったよ!自分で切るともっと美味しい。正月までにごちそうリスト全部制覇してしまって、いざ正月には粗食してそう。

ダウンタウンについては多分政治的に云々に行く前の段階で感覚的な違和感がずっとあって面白いと思えたことがない(そもそもある特定の「笑い」の伝統を共有していないために素で面白さが「わからない」感じ)のだけれど、それとは別に、年末に聞いていたPodcastで(米国のスタンドアップコメディについて)「おそれを知らぬfearless コメディアンというのは、他人を傷つけることを厭わない芸風を指すのではなく、オーディエンスの前でvulnerableであること、その結果として自分が傷つけられることを恐れつつ、それでも続けることを指すのだ」という話をしていたことを思い出している。

その時にスタンドアップでのvulnerabilityとして語られていた姿勢は、日本でのいわゆる「自虐ネタ」とも少し違うのだろう、と思う。自虐ネタというのはむしろ自己防衛であり場合によっては攻撃なので。それが常に悪いわけではないけれど、おそらくvulnerabilityの開示とは方向性が違う。

動物アテレコ罪はそれだけで重罪だけど中でも人間の飼い主のことご主人様って呼ばせてるのマジで許せんかも

この構図を見て「黒い十人の女」の代表的なシーンの画ヅラを思い出した(なお「黒い十人の女」は未見)/『ときめきメモリアル』公式Xアカウントの背景で伝説の樹の下で待つヒロインの数が増えていると話題に
news.denfaminicogamer.jp/news/

なおBivi新さっぽろ吹き抜け公園、天井の擬似青空(でかいLEDディスプレイ)をときどき飛行機が横切っていく。

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Bivi新さっぽろの吹き抜け公園、わりと気に入ってしまった。人工芝にあぐらをかいてるとまったりできる。なおまわりでは子供たちがめっちゃうれしそうに駆け回ってる。

世の中の変化のほうが、一個人の変化よりもずっとはやい。それはたぶん事実だ。時代の先端と歩を合わせていたように思っていても、人はあっという間に時代の先端の背中が見えるくらいのところに置いていかれる。それでもなんとか追いかけられる気力体力胆力知力があれば幸いだが、そうでない人のほうがたぶん多い。ついていってるつもりでお荷物になるか、疲れ果てて時代の先端が米粒くらいに見えるところまで置いていかれる。
そんなときに必要なのは、自分の認識が絶対ではない、自分が、自分側が常に正しいと思うな、良心は捨てるな、自他の人権は大事にしろ、ということなのではないか。

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