1970年代はすでに半世紀前のできごとで、戦後世代が明治期を「近代」と呼んだ時間感覚からすると、昭和中期は現役世代にとってすっかり「近代」になってしまったように思う
招待制が廃止されたので、blueskyのアカウントをつくりました。すみれの花時計みたい。
「本のフェアトレード認証」にインタビュー記事が掲載されました。
「作家の手帖」をなぜ立ち上げたのか、問題意識をストレートに話せたと思います。
著作者の報酬をめぐる、公正取引と経営リスクの衝突をどう考えるべきか。さまざまな表現に携わる方のご感想を伺いたいです。
面白い細部は(たぶん)次のNHK大河になるからそちらを観てもらえばいいとして、身元不明・成り上がり・早熟早逝・商才・下世話・サロン・面倒見◯・反権力……と、ポップカルチャー好きが惹かれそうな属性に事欠かない生涯だなと思う。
菊池寛や堤清二、岩田聡がそうであるように、ひとつの文化の流行の頂点に・高所で・当事者として立ち会った経営者だから、文化史を語るときにも欠かせないし。
先行研究者はめちゃめちゃ褒めてるけど、後世からみると、経営者としてはこれといって独創的な発明をしたわけではなく、基本に忠実な慎重派という感じがする。ただ、ハイプサイクルの頂上が見えていて、キャズムは超えそうで超えない、くらいの潮流に居合わせるのが上手い。「野生の嗅覚」がある。
高校日本史の用語集レベルの話なのかもしれないけど、蔦屋重三郎の半生は(インターネット普及後に読むと)面白い。
古くから「物之本」と呼ばれて全国流通した儒書や歴史書、医書などの「役に立つ本」に対して、彼の同時代に成長市場だった「地本」は、都市圏内に流通した大衆向けの趣味・娯楽書で、奢侈禁制のあおりを受けやすい「役立たずの本」だった。
蔦屋重三郎は後者から前者に進出しかけたところで死んだらしい。晩年に本居宣長の初期作を刊行してもいる。生まれ育ちはよく分かっていないものの、就職してしばらく当初は吉原遊郭で貸本屋を営んでいて、ある時に別の版元が手がけていた「風俗店の人気タレントの写真集」を安売りするところから起業。
その後はいくつか(吉原ローカルの観光ガイドや音楽入門などの)実用書を手がけたあと、狂歌コミュニティに深入りして実力のある作家を発掘。エンタメ部門を立ち上げて、過激すぎて政府から発禁・財産没収されるくらいまで成長させた、と。
いかがわしい本が咎められて、幕府から資本金の半額を没収された蔦屋重三郎と山東京伝をみていると、娯楽(フローな情動)は書籍(ステーブルな記録)と相性がわるいのではないかと思う
口あけぬひつじ死んでいる