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江戸時代の狂歌コミュニティのインターネットっぽさすごいな

韓国コンテンツ産業の牽引役は「ゲーム」 jetro.go.jp/biz/areareports/20

「2020年で8194億ドル。他ジャンル合計1,192,4億ドルの68%」

産業全体の相手国は中国が最多
japanese.korea.net/NewsFocus/P

「現在、Kコンテンツの輸出先は、中国・台湾・香港が全体の36%、日本が15.4%を占める。一方、北米は13.3%、欧州は10.9%、中東を含めた他の地域は5.8%に過ぎない。」

「ゲーム」単体の輸出額も中国は最多。日本は10%ほど。
pickups.jp/global/53194/

「輸出額の割合は中国(34.1%)、東南アジア(17.0%)、北米と欧州(それぞれ12.6%)、日本(10.5%)の順となり、参入難易度の高い中国が最も大きな比重を占めた。とはいえ、中国への輸出額は前年比で微減し、一方の東南アジア、ヨーロッパ、北米などへは増加傾向にあり、多角化が進んでいる。」

ほんとそうだよ…。「世界の成長見通しが数十年ぶりの低さとなり、また、パンデミックと戦争に伴う過度の後遺症によって富裕国と貧困国の間の所得格差縮小が減速している中で、私たちには第二の冷戦を行っている余裕はほとんどありません。」
imf.org/ja/News/Articles/2023/

脚本内容の細部に疑義を唱えると、その身ぶりが作中人物のふるまいと重なってしまうから、類型化の対象にされた当事者はおのずと沈黙を強いられる構造になっているのに、閉域で展示される現代美術のインスタレーションとはちがって公衆送信されているから、不意打ち的に聴き手をじぶんに有利なゲームルールに誘引できるところにもスマートさを感じさせますね。

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広告主と制作会社が登場人物だと生々しすぎるし、ライターと編集だと怒られそうだし、その仕事の専門性がさほど知られていない校閲者を悪役に仕立てつつ、考証・監修の役割と法令遵守のためのレビューを混同したストーリーに仕上げれば、専門外の聴衆が抱えるぼんやりした不満感を言い当ててくれたっぽい気にさせるくらい、別に何てことはないと示唆してくれているかのようだ(※皮肉です)

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世間が雑に想像している曖昧なイメージを真に受けて、あえて何もかも調べずに提示したラジオドラマCMという感じがする

kyoto-art.ac.jp/production/?p=

「老い方本100冊を1冊にまとめた本」読みたいな

高橋10)が指摘する高齢期うつを避ける処世術って、

・多様性のある生き方をする
・孤立しない人間関係を形成するとともに、自分だけの時間も大切にする
・あいまいさに耐える能力を身に付ける
・必要な支えを他の人に求める態度を持つ
・過去にこだわりすぎず、「いま、ここで」の発想を大切にする

悪い向きに働くと、「組織内のもめごとや不祥事にきちんと対応しない風土」を形成しそうだなと思った。

「結晶性知能である「言語能力」は60歳代にピークを迎えるが、その後の低下は80歳代の前半まで非常に緩やかである。シャイエの縦断研究が示すさらに重要なことは、流動性知能を含むその他のほとんどの知能も、55 〜60歳頃までは高く維持されることである。その後、緩やかに低下するが、明確な低下を示すのは80歳以降である。」
tyojyu.or.jp/net/topics/tokush

kasaikouhei さんがブースト

国立国会図書館、書誌データ提供を拡充:「全国書誌データ検索」の公開等║カレントアウェアネス・ポータル
current.ndl.go.jp/car/208544

一周回って(担い手の加齢もあって)推しの政治家について話す流れがまた来るのかな。用法的には先祖がえり。

コンテンツ産業に話を限れば、新作の開発や既存サービスの運営コストの高まりに伴って、諸分野でギルド形成や法人化、経営統合がゆるやかに進んできたのが2010年代の日本ではあったから、凄腕のクリエイターさん(裏を返せば作ることのほかに取り柄がないままでいたい、いられる、いざるを得ないひと)は、健全経営の良心的な芸能事務所の・ようなものに身を寄せたほうが生きやすくなるのかもしれない?

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政財界(やそこに陳情する業界団体、専門家団体)のステークホルダーが中心に立って問題分析するときに、暗黙の前提として「日本でビジネスするなら青色申告くらいの経理知識は身につけてよ」「苦手なら専門家に頼りなよ」「頼れないほど儲からないなら開業はやめておきなよ」「不当な商習慣は業界内で是正してよ」という雰囲気になるのは、賛否は別としてまぁ分かるんだけど、より根本的に考えると、記録や片づけといった基礎的な事務能力が高くないひとたちの生計的な独立は、どう守っていけばいいんでしょうかね。だれもが民間のITツールを使い慣れるわけじゃないわけで、そのサポートを満足に受けられないひとのお世話は、教育機会や社会福祉の充実のほうに回すんでしょうか。

免税事業者からの仕入税額控除に関する経過措置・特例措置の当面継続 or 恒久化は、税理士会はじめ諸団体が要望・陳情していたところだけど、議論は来年度に持ち越しされたのだろうか。

自民党税制調査会が把握する課題は、

「①インボイスの記載事項に不備があった場合に発行者は修正する義務があるはずなのに、そのことを理解しておらず対応してもらえない、制度に不慣れのため、そのつど税理士に確認している等の制度の理解が未だ不足していることに起因するもの、

 ②記載された登録番号の確認作業に時間がかかる、免税事業者からの仕入れに係る経過措置の区分をしなければならないことが手間、3万円未満の特例に関して帳簿の記載事項が負担等といった経理業務の事務負担に係るもの、

 ③免税事業者であるため利用してもらえない、取引を停止されるのではないか不安であるとの指摘がある一方、業界における人手不足の状況下であり、発注に当たって「課税(登録)事業者であるか」は関係ないといった指摘があること、

 ④取引先へ請求書を出す段階となってインボイス発行事業者の登録を求められ、登録しなければ価格を引き下げると迫られた事例」

といったところのよう。

shirube.zaikyo.or.jp/article/2

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来年度の税制改正大綱のもとになった政権与党の文書をざっと読んでみたところ、

自民党・公明党「令和6年度税制改正大綱」
jimin.jp/news/policy/207233.ht

インボイス制度それ自体の変更はほぼない一方で、以下が検討事項に盛り込まれたようだった。

「小規模企業等に係る税制のあり方については、働き方の多様化を踏まえ、個人事業主、同族会社、給与所得者の課税のバランスや勤労性所得に対する課税のあり方等にも配慮しつつ、個人と法人成り企業に対する課税のバランスを図るための外国の制度も参考に、正規の簿記による青色申告の普及を含め、記帳水準の向上を図りながら、引き続き、給与所得控除などの「所得の種類に応じた控除」と「人的控除」のあり方を全体として見直すことを含め、所得税・法人税を通じて総合的に検討する。」

「記帳水準の向上、トレーサビリティの確保を含む帳簿の事後検証可能性の確立の観点から、納税者側での対応可能性や事務負担、必要なコストの低減状況も考慮しつつ、税務上の透明性確保と恩典適用とのバランスも含めて、複式簿記による記帳や優良な電子帳簿の普及・一般化のための措置、記帳義務の適正な履行を担保するためのデジタル社会にふさわしい諸制度のあり方やその工程等について更なる検討を早急に行い、結論を得る。」

話の途中に文脈・背景の補足を入れても悪目立ちせず、だれの内面にも(語り手の心中にさえ)簡単に出入りしても、さほどあざとくない雰囲気になっている。

こういう作風は、著者が映像化を拒みつづけてきたこととは裏腹に、実写であれアニメであれ、「動き」を表現しやすい映画という手法に向いていると思う。シナリオを構成しやすいし、音声だけの作劇を考えるのに比べたら、画面レイアウトも設計しやすいんじゃないか。ベストセラーであることを抜きにしても、刊行当時からこれまでにオファーが殺到していたのもうなずけるというか。

その代わりにむずかしいだろうのは、試写会をみた原作者(黒柳徹子)も語っていたけど、登場人物の性格を表現する演技や、表情・身ぶりのクローズアップ、(大衆映画としては)激しい展開の少ない断章的なストーリーを飽きずに見せる起伏の作り方、といったところか。どの難所にも製作陣はしっかり取り組んでいて、作画の素人(例:僕)にも見応えがあるように、手を替え品を替えた演出があちこちで試みられていた気がする(じっさい「夢」の場面は評判がいい)。

なかでもすごかったのは、(主役ふたりの前景で)校庭で遊ぶ子供たち、運動会の二人三脚、改札口から停車場まで駆け上がるところかなぁ。時代劇らしい泣かせの演技の分量はちょっと多すぎたかも。

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2023年映画「窓ぎわのトットちゃん」は留保なしの「いい映画」だった。アニメの技術はもっと詳しい方が話しているだろうし、ひとまず書きとめておきたいのは、原作者の他著と比べたとき、この映画の原作がどんな書かれ方をしているか。

著者(黒柳徹子)は(僕が読んだ)どの著作でも「読み上げるような書き方」を選んでいる。時制は過去形を基本に、息つぎに素直な句読点と、文法的によく整った、ねじれのない短文で、話者の気持ちを隠さず、どんな文章も語彙の難しさを大きく変えずに書いている(台詞、描写、説明、内心いずれも)。

この書き方は異なる書籍ジャンルでも大きく変わらなくて、著者のこだわり(もしくは癖みたいなもの)だと言ってよさそう 。実況解説の向きがつよい『チャックより愛を込めて』や、大人っぽい散文に近づけた『トットひとり』のほか、絵本らしい語彙と改行頻度の制限がある『窓ぎわのトットちゃん』も、おおむねそんなところがある。

「読み上げるような書き方」は、「話すように書く方法」のひとつで、著者のそれはニュース原稿やラジオドラマのモードに近いかもしれない。この書き方を採用しながら、作中話者は現場にいつつ、しかし観察的な態度を崩さないナラティブがなされているので、読み手が被写体の動きを追いかけやすいだけでなく、語り手が(続)

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