Twitterに文句は言ってきたのだけれど、新聞・テレビ・雑誌というオールド・マスメディアが急速に弱体化しつつある現在、Twitterはオンライン上で横串をさせる情報インフラだったことはまちがいなくて、それがいよいよ遠心力が働いてくるとなると、どこにも横串をさせる情報インフラがなくなっていくことになるわけで、この先情報流通がどうなっていくかというのは、かなり大変な問題になるような気はします。
あれだけ統一教会の件と言い、叩かれまくってたはずなのに、政権支持率が上向きになるとかすごいなぁ…。(絶望)
政治家の棄民性どころか、国民皆様様方が持ってる特権(選挙権)を存分に発揮できる、選挙を捨ててどうするんだ…。(ひねくれモード)
マスク丼でレド松に入れたという漫画家の人がレド松のツイ(AI画像生成業者とのなれ合い的やりとり)を引用して「票入れるんじゃなかった」とつぶやいているのを見たが、まあなんていうか、「だ か ら 言 っ た だ ろ」以外の言葉がありませんな
1980 Computers are for nerds
1990 Computers are for everyone
1995 The internet is for nerds
2005 The internet is for everyone
2005 Smartphones are for nerds
2015 Smartphones are for everyone
2006 Twittr is for nerds
2016 Twitter is for everyone
2022 Mastodon is for nerds
英ホラー映画「くまのプーさん」、香港で上映中止 習主席を指す隠語 - 毎日新聞ニュース
https://mainichi.jp/articles/20230322/k00/00m/040/466000c
何故一部の人がリベラルを「全体主義者」だと思ってしまうのか問題、例えば反差別などには一定の基準があって「こうしなければダメ」という学校規則的なルールを押しつけてくるものだという認知があるような気がする。だから「”ポリコレ”に反対だ」みたいなよく意味のわからない言葉がウケる。
確かに「差別的だ」と言われるような事柄には一定の基準があるのは事実だが、それはあくまでも人権概念に立脚した原則的なものであって、「何が差別か?」のわかりやすい統一ルールなど存在しない。もしあるのならばこんなにトランスヘイトが蔓延していないだろう。
人の人権と尊厳を重視し、「生きとし生ける全ての人間は遍く平等である」という哲学こそがリベラルな反差別主義の中核であって、そこを理解しないと単なる道徳やマナーの問題だと誤認してしまう。何度も言ってるが、そもそも人権概念をキチンと勉強していないからこうなってる。
これ、ほんとに、国の関係のみなさんの「自己満足」のつぐないでしかないです。
みなさん、償っていると思っているうちは、罪悪感が少し軽くなるでしょう?
現実に広がっている福島の避難区域の荒地や、悲嘆にくれて絶望している避難者の深い憤りから目を逸らしていられるでしょう?
首長さんや、復興予算で恩恵を受ける被災者からは、仲間扱いしてもらえて、気分が楽になるでしょう?
そういうの、全部、ただの気休めです。
この出来事は、取り返しがつかない、償いが効かない破壊的な出来事です。
ただ、歴史というのは、そういう破局的な出来事をしばしば経験しながら、それでも続いていくものなので、その現実のうえで、なんとかしていくしかないんです。
いいかげん、偽りの万能感から、目を覚ましてくれませんか。
https://kahoku.news/articles/20230321khn000002.html
この記事の「償い」の文字を見て、テレサテンの「つぐない」がリフレインして止まらないです。
https://www.youtube.com/watch?v=ohJw5XPZ4HI
演歌じゃないんだから、やめようよ、「償い」とか…。
その「償い」のせいで、さらに大変なことになっているんだから、自己満足ですよ、万能感に溢れる役所の方の。
世の中には、取り返しのつかないことがある。
償いなんて不可能なこともある。それを奥歯を噛み締めて、死ぬまで受け止め続けるしかないこともある。
そういう無力感を先に知ってほしいですね。
本記事がいうように、Colaboの件についての正しい要約は「Colaboの会計に不正はなし」なのですよね。マスメディアの報道で不正があったと誤認させるような内容のものがあったのは、事なかれ主義とか、「悪しき中立主義」とかいう以前に、何が問題なのかを理解していないだけなのでしょうが、異常な状況を終わらせるように、きちんと事実関係を報道してほしいものです。
初心者向け