白熱したイベントは、あれこれと脱線しすぎて直後であっても何を話したか覚えていない。それでも遅くまで残ってお喋りしてくれる参加者の方々がいらっしゃって、その方々から伝わる余熱からよかったんだなと感じ取ることになる。今回はそんな風でした。アーカイブぜひ。
https://twitcasting.tv/book_lighthouse/shopcart/314962
〈新規イベント〉2024年7月13日(土)本屋ighthouseの夏祭りwith柿内正午と青木真兵
18時からはトークイベントもやります〜٩( ᐛ )و
来月は本屋lighthouse で夏祭りやります。どなたか流しそうめんのノウハウをお持ちの方は店主の関口さんまでご連絡を。
6月6日(木)の夜は、ルチャ・リブロの青木真兵さんと大阪市中央公会堂でおしゃべりします。当日はおやつなど持ち寄って、気ままにわいわいやれたらなと考えていますので、平日の夜ですがふらっとぜひ〜 ご予約・詳細はリンクよりどうぞ。 https://fiction-talk.peatix.com/view
LISTEN というサービスを知った。音声配信ができて、フォローやコメントといったコミュニティ機能もある。なにより配信する内容が自動で文字起こしされるので検索性も低くない。
ツイートの代わりにこちらで、じっさいに部屋の片隅でぶつぶつ呟いてみることにする。
伝達のために書くというよりも、考えることと書くこととが分ちがたく結びついている。書いていく行為が残す文字列が、事後的に考えめいたものになっている。伝達のためにはこのような思考とほとんど統合で結ばれた文字列を整理整頓する必要がある。
僕にとってSNSとはものを考える場であって、情報を伝達する場と捉えることがどうしてもできない。だから文字をとりあえずてきとうに並べてみながら何かが考えられるのを待つという段階でそのまま投稿してしまう。
たとえばTwitterと呼ばれていたところが、そのような伝達されるには粗すぎる文字の散らかりを許容するものだと感じられた時期もあった。いまではすっかり広告の場で、考え終わったもの、思考が情報に整えられきったものたちだけがそれなりの顔をしていて、ラフな思考の痕みたいなものまで、整備済みの意味を励ます情報として取り込まれてしまう。情報と、それをいい加減に支える気分のようなものとしてだけ文字列が機能する場で、だらだらと散漫な文字の散らかしをすることはできない。
かきないしょうご。会社員。文筆。■著書『プルーストを読む生活』(H.A.B) 『雑談・オブ・ザ・デッド』(ZINE)等■寄稿『文學界』他 ■Podcast「 ポイエティークRADIO 」毎週月曜配信中。 ■最高のアイコンは箕輪麻紀子さん作