生活というのは、基本的に保守である。日々の習慣は安定して円環的な時間を必要とするからだ。毎日の生活すら覚束ないとき、そもそも維持するべき安定がないのだから、まずは自分たちも安定できるような社会をくれよと革新を求めることになる。誰かの革新とは誰かの安定への権利要求であり、すでに安定しているべつの誰かは、安定の拡大を共に求めてより一層の盤石さを実現するように働きかけるほうが有効であると考えている。現行の政治が従来の安定を根扱ぎにするようなことばかりするようなとき、生活の保守性とは政治の革新として表明されるほかない。生活の上では保守的でありつつ、政治の現場では革新を支持するというのはこういうことではないだろうか。このねじれが直観に反するようで、長い間うまくイメージがまとまらなかった。
JTC(Japanese Traditional Company)の福利厚生をはじめとした恩恵ってやはりすごいのだけど、設計として「過酷な労働を薄給のまま何年か耐え忍ぶと、ようやく労働内容と待遇とが(そこそこ上振れした形で)釣り合ってくる」というものだから、いまみたいに社会全体が貧しくなっていると、手ぶらで前段の「過酷な労働を薄給のまま何年か耐え忍ぶ」の難易度が跳ね上がっている。その結果、けっきょくは働きはじめに給与以外のサポート(実家が太いとか、貯蓄があるとか、べつに稼ぎがあるとか)がある人だけが消耗せずに次のステップに進めて、生活のために労働するような人たちはおいしい部分に辿り着く前にくたびれて辞めてしまうことになる。もとから金に困ってない人からどんどん金に困らなくなり、困っている人はますます困る構造になってる。
SNSで誇張され顕在化した「書いてあることを書いてある通りに読むことのできなさ」って、すべてのテキストをエアリプとして読むような態度が一因なのではないか。大多数のテキストは自分になんの関心もないという当然のことを、ひょっとして自分のアレへのエアリプではという想像が見失わせがちというか、タイムラインやフィード上に並置されると、場の共有と文脈の共有が取り違えられがちというか。
山本ぽてとさんのポッドキャストで文学フリマ東京36の注目本についてきゃっきゃっとお話ししてきました! Part3まであります。これを聴いてわくわくを高めつつ、会場でお会いしましょう〜
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インターネットよりも『古今和歌集』とかを読んでいる方がいいな、みたいな境地、これはただ年寄り臭い懐古みたいな話ではなく、けっこう重要ななにものかが賭けられている気がしてきた。
汲み尽くせぬコンテンツの濁流に飛び込んで現実の実相とは別様の概念体系の奥行きや深みを味わうような享楽のたのしさを至上のものと据えてきたけれど、加齢による体力や気力の低下ゆえか、あるいは単純にこの生の有限性に対して重たい実感を抱くようになったからか、この生や眼前にひろがる他者たちへの素朴な驚愕のほうが切実さや面白味を帯びてきた。
かきないしょうご。会社員。文筆。■著書『プルーストを読む生活』(H.A.B) 『雑談・オブ・ザ・デッド』(ZINE)等■寄稿『文學界』他 ■Podcast「 ポイエティークRADIO 」毎週月曜配信中。 ■最高のアイコンは箕輪麻紀子さん作