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生活というのは、基本的に保守である。日々の習慣は安定して円環的な時間を必要とするからだ。毎日の生活すら覚束ないとき、そもそも維持するべき安定がないのだから、まずは自分たちも安定できるような社会をくれよと革新を求めることになる。誰かの革新とは誰かの安定への権利要求であり、すでに安定しているべつの誰かは、安定の拡大を共に求めてより一層の盤石さを実現するように働きかけるほうが有効であると考えている。現行の政治が従来の安定を根扱ぎにするようなことばかりするようなとき、生活の保守性とは政治の革新として表明されるほかない。生活の上では保守的でありつつ、政治の現場では革新を支持するというのはこういうことではないだろうか。このねじれが直観に反するようで、長い間うまくイメージがまとまらなかった。

JTC(Japanese Traditional Company)の福利厚生をはじめとした恩恵ってやはりすごいのだけど、設計として「過酷な労働を薄給のまま何年か耐え忍ぶと、ようやく労働内容と待遇とが(そこそこ上振れした形で)釣り合ってくる」というものだから、いまみたいに社会全体が貧しくなっていると、手ぶらで前段の「過酷な労働を薄給のまま何年か耐え忍ぶ」の難易度が跳ね上がっている。その結果、けっきょくは働きはじめに給与以外のサポート(実家が太いとか、貯蓄があるとか、べつに稼ぎがあるとか)がある人だけが消耗せずに次のステップに進めて、生活のために労働するような人たちはおいしい部分に辿り着く前にくたびれて辞めてしまうことになる。もとから金に困ってない人からどんどん金に困らなくなり、困っている人はますます困る構造になってる。

Google検索もChatGPTも、この家のどこかにあるはずのキャッシュカードのありかを教えてくれないから役立たず。

寝起き即顔面ギトギトの季節がやってきてしまった。

言葉を、特に文字になったそれを内面と同一視するから変なことになる。

電車やバスで隣り合った誰かの生活や考えてることならふつうに「知らんがな」で済ませられるのにね。

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SNSで誇張され顕在化した「書いてあることを書いてある通りに読むことのできなさ」って、すべてのテキストをエアリプとして読むような態度が一因なのではないか。大多数のテキストは自分になんの関心もないという当然のことを、ひょっとして自分のアレへのエアリプではという想像が見失わせがちというか、タイムラインやフィード上に並置されると、場の共有と文脈の共有が取り違えられがちというか。

お酒や運動不足の健康への悪影響についての言説を見るにつけ、生きているとつねに死の可能性があるので体に悪いと考える。

仕様書通りの動作を遵守することすら人間には満足にできないから、その愚かさをクリアカットに記述できる知性というのはありがたいものでもあるのだが、仕様にないことさえできてしまう愚かさにこそ人間の面白さはあるので、仕様=現状肯定の域を出ない賢さはくだらなくもある。

自意識の話のふりして規範意識の話しかしていないような作品は安定して人気を獲得するが、だいたいつまらない。自意識が社会規範に屈することを成熟と呼ぶような卑屈はくだらない。自意識が局所的にであれ社会を転覆してこそだろう。

酔うよりも醒めるほうが面白い。

醒めた人の酔っ払いの演技は楽しいけれど、酔っ払いそのものは大したことない。

5月21日(日)12時〜17時。東京流通センターで開催の文学フリマ東京36。会社員の「自由」や「責任」を問うエッセイ『会社員の哲学』、エッセイと小説が読める栞『エッセイ「栞」/小説「栞」』、ゾンビ映画にまつわる文化的雑談集『雑談・オブ・ザ・デッド』、緊急事態宣言下FGOに救けられる日記本『あまり読めない日々』などを頒布します。是非お立ち寄りください。

山本ぽてとさんのポッドキャストで文学フリマ東京36の注目本についてきゃっきゃっとお話ししてきました! Part3まであります。これを聴いてわくわくを高めつつ、会場でお会いしましょう〜
open.spotify.com/episode/6Glaj

思想書を言語で読むみたいなことは、必要上ある程度できた方がいいんだけど、そこを極めるよりも和歌や漢詩に親しむ方向に時間や手間を割くのがいいかも、という予感。

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日本の古典と呼ばれるものを、ナショナリズムへの嫌悪から避けてきたのだけれど、実際問題これからの人生で外国語を本格的に習得をする可能性は極めて低く、であればこの日本語というものをとことん学んでいくほかないのではないか、みたいな考えにゆるやかに変わってきている。

この自分という個の成立与件を探るためであって、安易に国家などに回収させてはいけないものであるというか。

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インターネットよりも『古今和歌集』とかを読んでいる方がいいな、みたいな境地、これはただ年寄り臭い懐古みたいな話ではなく、けっこう重要ななにものかが賭けられている気がしてきた。

えも言われぬこの生の相貌をあらたに言葉で書き表そうという無茶への憧憬は深まるばかりでもあり、側から見るとそれは現実から遊離した虚像と戯れているだけにしか見えず、とくだん変わり映えしないかもしれない。

けれども、これまで他人事として鑑賞や消費の対象だったあれこれが、実存へと照らし返されるものとして迫ってくるような感じが、ようやく自分にもやってくるようになったというか、そんな感覚がある。

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汲み尽くせぬコンテンツの濁流に飛び込んで現実の実相とは別様の概念体系の奥行きや深みを味わうような享楽のたのしさを至上のものと据えてきたけれど、加齢による体力や気力の低下ゆえか、あるいは単純にこの生の有限性に対して重たい実感を抱くようになったからか、この生や眼前にひろがる他者たちへの素朴な驚愕のほうが切実さや面白味を帯びてきた。

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