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筋肉とお金(製作費)で全て解決しちゃうみたいな大雑把な映画が観たい気分。最後は車とかアジトとかが派手に爆発するようなやつ。

知性を感じるお行儀の悪さ、気遣いのあるチャラさ、ものを知らない教養主義、物腰柔らかな不遜さ、そういうものを格好いいなあと思う。

日記本『差異と重複』を出します。2021年と2022年が並走する、A5版780ページの大きな本です。図体ばかりデカくて内容の大したことなさはいつもどおり。大したことない日々は、どうでもよくはないのです。4月9日(日)11:00-17:00、下北沢BONUS TRACK で開催される「日記祭」でお披露目予定です。

300部限定。税込売価3200円、卸値7掛け(買切のみ、2冊から)を予定しています。本を売るお店、空間、運動、個人でのお取り扱い、大歓迎です。事前のご注文状況によってはもうすこし価格や条件を下げられるかも……

akamimi.house@gmail.com までお気軽にお問い合わせください。

素朴に自分のことを好きなのであればそれに越したことはないとも思うが、好きか嫌いかと問われると、そんなに好きでもないな……と気がついてしまう。面白い遊び場だとは思う。

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「自分大好きですね」みたいな揶揄をいただくからこのことについてよく考えるのだけどいまだにうまい言葉が見つからない。だからまだよくない解釈の幅があるというか、受け取る各人のなかにある語義の個体差が大きいようにしか言えないのだけど、自分のことがとくべつ好きでなくても自分のことに関心を持ったり気にかけてあげることは可能だと思っていて、好き嫌いのような感覚や、才能だとか能力だとかいった社会的な評価軸に照らし合わせて自分をジャッジするような感性や、この自分を肯定できるかどうかといった倫理とはまったくべつのところで、自分に自足するというか──この自足というのがどうも現状肯定みたいなニュアンスを引き連れてきてしまうからあまり適切ではないと思ってはいる──とにかく自分のことを、とても好感は持てず価値も感じられず否定すべきところも多いものであるところの自分を、一個の事実として認めつつ、それを面白がるというか、玩具のようにいじくっていくような態度で、あわよくばすこしでもマシな方向にもっていこうという遊びの感覚があり、そのような感覚において僕は僕のことばかり考えている。他人のことを玩具のように扱うのはダメだから手近な自分で遊ぶのだが、これを自己愛とだけ片付けられてしまうとなんとなく物足りないような気持ちになりはする。

毎年この時期こうで、でもまわりのひとがビチャビチャになってるのをみると自分はちがうのかなと思っていたけれど、しかし。

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鼻水も涙も出ないからちがうかもだけど、この全身の重怠さ、頭の回らなさも花粉なんじゃないか。

投入した労力が目に見える効果として即座に現れるわけではないということを納得するためだけにでも、自分でなにか作ってみるという体験はしておいたほうがいい。

制作は楽しいけど、過程の時間の比率でいうと楽しい時間はそんなにない。七割くらいは理想通り進行できないことへの幻滅や自己嫌悪、抽象的な不安、具体的な面倒に占められているのだが、残りの三割の楽しさが麻薬的で、なにより七割の困難を乗り越えたあとにつかのま感じる喜びが忘れがたく、何度も苦しい思いに身を投じる。

このとき、七割の苦しさを覚えていて、覚悟のうえで飛び込んでいるならともかく、僕の場合は毎回記憶しているのは楽しいことだけなので、うきうき取りかかっては新鮮に「え、楽しくない……⁉︎」と戸惑い、形ができあがってくるとまたケロリと忘れて楽しさだけになる。

本読んでるとどんどん本読みたくたって焦る。

酔っ払うとツイッターに行ってしまう。酔っ払ってもこっちでゴミのような文字列を散らかすようにしたら、したらどうなるというのか?

「普通」へのプレッシャーというのはすこし嘘で、「普通」がユートピアになってるからみんなそれに憧れ欲しがる。

でもそれはもうないから、標準化への強迫観念を煽り立てるような態度に対して欺瞞であると断じて、諦めて各々のズレかたを共有してくようなやり方のほうがいいんじゃないかしら。

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現代の日本社会において、二〇代越えたあたりから「標準的」ライフコースというものは事実上ほとんど存在していないというか、どれだけ「標準」たろうとしても必ずどこかでズレてしまうもので、でも別にそれで終わりなわけなくて、ズレたらズレたなりにやってくしかないのだとわかる。

誰しもどこかでズレるほかないほど「標準」が狭き門になっている状況では、むしろ小学生から高校生くらいまでのあいだにさっさとズレてしまったような人のほうが上手に、かはわからないが、屈託なく渡世をやっていけたりするのではないか。

Now Playing: "Mistake (Live at the Berlin Jazz Festival - 1978)" from "Zombie" (フェラ・クティ)

明日です! 人来るのかなあ。僕自身、午前中に起きて正午までに会場に到着できるかどうか。

fedibird.com/@book_lighthouse/ [参照]

柿内正午 さんがブースト

本にせよ映画にせよ音楽にせよ、大多数の人はそんなに興味がなくて「年にひとつかふたつ作品に触れる程度」なのだけれど、そうではない層となると一気に「年中作品のことばかり考えてる」みたいな怪物ばかりのようで、ほどほどのところの人が見当たらないような気がしてくる。

本に関しても、リアルの現場で話す人のほとんどは何にも読んでない人で、インターネットにいる人は僕の知らないあらゆる本を読んでいそうないかめしさを纏っている。

これはかなり誇張してはいるけれど、じっさい本を読み始める段階では「こんなもの読んでるのは自分だけだろう」みたいな勘違いを抱きがちであるし、すこしでも本格的にその道に踏み入れてみると「この界隈でもっとも本を読めておらず、おさえるべき基礎教養すらおぼつかない自分はいちばんの雑魚なのだ、恥ずかしい」とこれまた極端な思い込みを叩き込まれる気がしてしまう。

まったく関心がないわけでも、プロフェッショナルでもない部分。初心者と上級者とのあいだにあるはずの中級者というのは、おそらくあらゆる場から見えづらい。でもこの層が厚いほうがいろいろヘルシーな気がしてる。読み書きや鑑賞、制作といったものたちに対する、週末の草野球的な関わりかたをどのように発明するか。そんなことばかり考えている。

柿内正午 さんがブースト

来週2月23日(木・祝)に幕張の本屋lighthouse で開催されるイベントに向けて資料を作成しました。下記リンクから確認できます。パワーポイントについては草案作成を柿内、資料のブラッシュアップを零貨店アカミミメンバーである「奥さん」が担当しました。格好いいね。

気合入れて基調講演みたいに書きました。当日はこんなふうにゾンビについて一生懸命話すというよりは、参加者の皆さんとゾンビにこだわらずわいわいお話しできたほうが楽しいと思ってます。

open.substack.com/pub/akamimi/

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