90年代はじめに生まれ、本店のある名古屋に育った者の実感として、ヴィレッジヴァンガードがなにかの対抗文化であったとすれば、それは戦中戦後の区画整理が過剰に成功してしまった名古屋という都市空間に対してのそれだったように思う。はじめからジェントリフィケーションの完了していたかのような90年代から00年代名古屋の無機質な不気味さについては矢部『夢みる名古屋』で活写されている。

モビリティの合理性に全振りし、まったくヒューマンスケールではない町において、あのような雑然とした遊歩の空間はそれだけで息のしやすさを差し出してくれた。

小中学生の僕は、とにかく整然とした町や学校の雰囲気が嫌すぎて、放課後はとにかく飛行機や車が天井から吊り下がる倉庫型の店舗に詰め込まれた情報の氾濫に身を浸すことでようやくほっとできたという記憶が強く根ざしている。

上京して下北沢の店にはじめて踏み入れたときは、「こんなのジャスコの中に入ってる小規模店でしかないじゃないか、これならよっぽど店の外のほうがごちゃついてて面白い」と失望したのもよく覚えてる。

そう、名古屋ってそれ自体がジャスコやイオンみたいな町なのだ。ほかの地方都市もそうなのかもしれないけれど、それは知らないから語れない。子供の頃は無駄がなく効率的で、逸脱を許す余白がないような空気を町自体から感じていて、かなり嫌だった。ハイカルチャーとサブカルチャー、さらに下位区分における選民意識など、細かい差異は田舎の物知らぬガキには関係なくて、とにかくおおざっぱにいま生きるこの場所とは別の原理があると体現してくれていたのがヴィレッジヴァンガードだった。

フォロー

ヴィレッジヴァンガードの話題に触れるたび、名古屋にいない人間に何がわかるってんだ、というような選民意識がつい頭をもたげてきてギョッとするから、これは自分にとって実存に関わるトピックなんだなと思う。

散漫に書き継いできて論点がぼやけてきたが、ある土地において特有の文脈のもと成立したものが、全国的に(それこそショッピングモールの分布と重なるようにして)広まっていく時点で失ったものというのはとても大きいはずだ。

コメカさんのブログで“当時VV的「サブカル」プレゼンテーションって既に、半笑いな感じで受け止められていたと思う。”という指摘が面白くて、実際VVにあるのってサブカルでもなくてそのモノマネなのだけど、そもそも名古屋市民だった僕にとって、都会の文化をモノマネしたいという欲望自体が新鮮だったのだと思う。

カルチャーとしてダサいか否かの手前に、カルチャーに参入したいという欲望を喚起するきっかけの有無があるというか。小中学生の僕は「半笑い」をベタに受け取ることでようやく何かを始めることができたのかもしれないなー、とか。

ログインして会話に参加
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。