90年代はじめに生まれ、本店のある名古屋に育った者の実感として、ヴィレッジヴァンガードがなにかの対抗文化であったとすれば、それは戦中戦後の区画整理が過剰に成功してしまった名古屋という都市空間に対してのそれだったように思う。はじめからジェントリフィケーションの完了していたかのような90年代から00年代名古屋の無機質な不気味さについては矢部『夢みる名古屋』で活写されている。
モビリティの合理性に全振りし、まったくヒューマンスケールではない町において、あのような雑然とした遊歩の空間はそれだけで息のしやすさを差し出してくれた。
小中学生の僕は、とにかく整然とした町や学校の雰囲気が嫌すぎて、放課後はとにかく飛行機や車が天井から吊り下がる倉庫型の店舗に詰め込まれた情報の氾濫に身を浸すことでようやくほっとできたという記憶が強く根ざしている。
上京して下北沢の店にはじめて踏み入れたときは、「こんなのジャスコの中に入ってる小規模店でしかないじゃないか、これならよっぽど店の外のほうがごちゃついてて面白い」と失望したのもよく覚えてる。