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ここ数日の諸々でちょっと気持ちがぐらっと来たので、学部図書館巡って資料集めたあとはいつものお気に入り市場に行って、チーズ屋さんに挨拶して、家族がすごいおっちゃんのチーズ美味しかった言うてたで!と伝え、いっぱいチーズ(またおまけで4つ買ったら5つになるマジック)を買って美味しそうな果物と絶品ファラフェルと不思議な平べったい美味なパンもゲットして帰りました。
よい人たちの良い味のよい品がお家にあるのは本当に幸せだなぁ。と思います。

あとはあれか。自分に向かって投げつけられる外国人という言葉が自分の内面にある外国人像に影響を与えているが故に想像力の限界を越えられず外国人差別の話で食い違うんだな。
彼女ちゃんが投げつけられる外国人にはオーストリア国籍ではない人という意味が付与されていて彼女ちゃん自身の内にある外国人像も同じくオーストリア国籍ではない人。という像がある。だから彼女の言う外国人はオーストリア国籍ではない人全てを内包しているため私もそこに含まれている。
けれど私に投げつけられる外国人という言葉には非EU圏非ドイツ語圏出身者という意味が付与されていて、私も自分がその意味での外国人だと理解して更に自分の内面の外国人像を作り上げてその意味で外国人と口に出すため私の言う外国人像には彼女ちゃんが含まれない。
人間の想像の限界もある。自分事に置き換えて考える場合自分の語彙と理解の範疇を越えられず、外国人差別の話題になる外国人は脳内で私と似た姿をしている。決してヨーロッパ人の見た目でドイツ語母語の姿をしていない。寧ろオーストリア国籍を持っているが見た目がヨーロッパ人ではない人も私の外国人像に含まれる。
そこがあるから話が食い違うんだな。

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取り敢えずEUはそこに住む必要がある人達全て(就労、婚姻、就学、避難等々)に平等で命も尊厳も生活も奪われることのない権利を与えてくれないかな。

問いをぶつけるにしても私じゃないんだよなぁ…
私からすると、お前ら双方ドイツ語圏なのに外国人ってお互い認識してなんか差別してんの?そんな文化違うんかー。ぶっちゃけその違い私には大まかにしか見えてないし、オーストリア人にドイツ人やから外国人扱い受けてる私も外国人差別の当事者じゃない?と聞かれても。
それ、私に聞かれても、正味あんたらのことはおんなじ言語圏の人で外国人言われて差別や!というのは分かるが私や他の人が立ち向かってる外国人差別の文脈とちょっとちゃうのでは?そこはドイツ語文化圏で隣同士でちょっと違ってるだけの他者をなんでか差別しあって失礼言葉ぶつけ合ってるあんたら内で解決すべき外国人差別というか他所もん差別であって…つかそれドイツやと旧東と西とか北ドイツとバイエルンとかでも似たような他所もん差別やってるやろ…っていう。
聞く相手私じゃないし…私に言われてもそこら辺の機微は分からんし…問題やとは思うが私の問題ではない。っていう。

私たち「非EU国民外国人」はそもそもそこの段階以前の制度や法改正というハードルが先にあるので、なんか既に中間地点にいる貴方達の会話に参加するまで時間かかるんですわ。障害物多すぎて。で、勝手に話進めんといてくれる?ちょっと待つとか出来ひんかな?若しくはこの障害物退ける手伝いとかするとかさ…的な…

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最後の「非EU国民外国人問題」は構造的差別にあっている人たちの問題で、1つ前の「EU国民外国人問題」の人たちが有している移動、居住、労働の自由が制度によって阻害されている。そう法律が定めたせいで、「非EU国民外国人問題」はこれまでの『外国人問題』と「EU国民外国人問題」に加えて構造的差別の被害者でもあり。3重の差別的感情に晒されている。という問題で。
それにより、どのカテゴリーも差別を受けているんだけれどその重度が違うせいで、それぞれのカテゴリーの間に特権を有する存在『外国人』「EU国民外国人」とそうでない存在「非EU国民外国人」を産み出してしまった。
で、その差別の重度が存在しているという認識を持たない状態で"外国人問題"を話そうとすると話が通じにくくなる。
つまり、ほんとに"外国人問題"を考えるというなら、言語能力差別と言語ヒエラルキー主義を辞めて解体し、非EU国民に対してEU国民と同じ権利を与えてから初めて対等に語れ得る問題なんではないだろうか。と思う。
これはドイツ語圏の人たちやEU全体がまず構造化された差別と主義を解体すべきで。そこを考えない人間が「非EU国民」に対して彼らの立ち位置からの"外国人問題"を語ろうというのはあまりにも驕った態度ではないかなと。

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彼女ちゃんと話してて、よく挙がるテーマが所謂『外国人』問題で。
オーストリア人はドイツ出身の彼女を『外国人』と扱うが、一定数の「外国人」(ここには私が含まれる)は彼女のことを何故「外国人」と見なさないのだろう。という話で。これは明らかに受け入れ国の方とEU法が悪いとは思うんだけれど、この異なる「外国人」と『外国人』を同じ"外国人問題"としているのが話を見えにくくして、かつ分断を煽っていると思っていて。
前者の『外国人』は私の捉え方ではドイツ語圏出身者としていて「外国人」はEU圏内非ドイツ語圏出身者「EU国民外国人」と更に細かく分けると非EU圏非ドイツ語圏出身者「非EU国民外国人」が存在している。
前者の『外国人問題』は同質性を強制する社会の問題というかホモソーシャル的社会が原因で。関西人と関東人で互いに差別しあってる。みたいな問題で。
後者の方「EU国民外国人問題」の方は言語能力差別や言語ヒエラルキー主義の問題であって、また前者とは違う。

こっちの国での遺言書を作っていて、行政書士さんに「日本の法律の件を調べてみたんですが、すいませんこんなこと言っていいものか...20世紀的ですね?!」と言われ。
そうです。20世紀はお世辞かしら。19世紀レベルだと思います。まともな人権はなくてですね。家父長制がすごくてですね。よくわからない盲信に国が支配されてるんですよー。ってなった。

私は書字障がい持ちで、パソコンがあってはじめて以前ほど時間がかからず日本語を書けるようになって本当に助かっているんだけれど、この間父と話しているときに、生まれて初めて身近で同じような問題(読めるし理解してるのだが、頭の中にある文字をうまく出力できない。記号やハンコを押すような感じで書いている。辺や作りで言われるとさっぱりわからない。同音異義語にめちゃくちゃ弱い。パソコンで文章を書いて、それを見ながら出ないと書けない。)を持っている人と話して。
祖母も全く同じらしく、どうも遺伝っぽいなぁ。と言うのが、数十年越しに分かって。
ただ、祖母も父も学校では「漢字がよう書けへんのはアホや。」的なことを言われ続け、私もかなり字が下手だったり、時間がかかる上に間違いが多いのを、アホやと言われていたので。大学ではまぁ帰国子女らしいし、こんなもんか。とか言われていたのだけれど。(住んでた場所漢字圏で、しかも数年でこんな書けへんやつおるかよって感じやけれども)
親子3代に渡って学校の理解のなさに苦しめられてきたのだなぁ。と。思うなどしました。

今回の帰国できちんと法的に家族になったと言うのもあったし、純粋に興味もあるしというので家族の歴史を少し聞いてみた。残念ながら祖父は私が幼い頃に亡くなっていて、結局赤ん坊の頃に顔を合わせたのが最後になってしまっていたから、遺影の写真でしか知らない。けれど、その祖父が移住した先の釜山出身だった。というのは初めて聞いた話だった。
義母が在日二世というのは聞いていたから、自分でもなるべく在日の方達の歴史を学ぼうと思ったし、これからもなるべく学んでいこうと思っているし、父が朝鮮語を学んでいるのを見ていつか私も...と思っていたんだけれど、祖父が釜山の当時の日本人街出身で、そして引き上げの時に曽祖母だけで子供を連れて帰らなければいけずかなり苦労したこと。という話を聞いて。
想像していた以上に私は朝鮮半島との縁が強い家の子で、それを知らずに生きていたのか。や、そもそもそういう家系ってめっちゃおったやろ、みんな言わへんだけで。という思いがあったり。
気付きと、今そういう話を聞けてよかった。という点でも今回の一時帰国と父ときっちり二人で色んな話を(まだまだ足りないけれど)できたのはよかった。

その3と4に関しては、身近な比較対照として東アジアの大都市上海と比較するのだけれど。
中心部の交通網がありとあらゆる所に張り巡らされていて、乗降者数の多い巨大駅では出口を間違うと地上に出てから遠回りをすごくすることになるので目的地までの最短出口を探すのが重要。という点では共通しているんだけれど、上海の方はすごい人混みだけれど、道も大きい上に、案内標識が多く迷う人も少ないのでカオスではない。ただ人が多い。
だけなのに対して、東京の方は、出口の表記や乗り換えの表記、主要な観光地への案内表記が少ない上に角を曲がったら表記が消えさる。という設計で、いちいち立ち止まって地図をスマホで確認する。そして道が狭い。その為、都度通路で立ち止まり確認をしなければいけない。という状況が発生しやすく、歩き方もウロウロするのでカオスな人混みが誕生してしまう。そして、やたらと狭い通路を通って曲がって、階段降りて登ってをするので導線が悪いし、視界も悪いし、案内表記も分かりにくいし、疲れている人や長時間の移動がキツい人、大きい荷物の人、色んな人に優しくない。

人任せすぎるし、優しくない。分からん、不案内なお前が悪いと言わんばかりの街では…?
と思いました。

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今回の日本への一時帰国、約5年ぶりで家族にも祖母にも会えて彼女ちゃんも紹介できて、必要なものもゲットできて会いたい人に会えて。が出来た旅だったのだけれど幾つか気付いたことが。

その1
私ドイツ語すげぇ出来るやんけ?!家族と彼女の同時通訳をほぼオンタイムとはすごいのでは?!褒めろ!ここまでドイツ語を磨き母語も保持した私の努力と挫折と日々の学びを!!
からの
その2
お年寄りの方がありとあらゆる所で働きすぎでは?
その3
東京人が多すぎ、混みすぎ、カオスすぎ。迷い混んで二度と出られないかと思った。
その4
その3と関わる点もあると思うのだけれど、街が人間に優しくない。導線が悪い。特に人が多く集中しやすいところに限って。

という点。

彼女ちゃんのうつ病の発作というか、それに巻き込まれてしまってかなり辛かった…
親がいてくれたし、話もすぐにできたからよかったけど。
釣られそうになったし、これは相手の病気のせいで私も彼女ちゃんも決して悪くない。
といういつもの意識がブレかけて…ほんまに、しんどかった。

20年以上拘束され続けた家族から解放されて、新しいけど古い(出生時)の家族に戻れました!!!
一周回って姓が出生時の姓に戻り、クイアフレンドリーなファミリーを選びました!!!
自由だーーーー!!!!!

市役所戸籍課の方、その節はご迷惑をおかけしました。よいお仕事をありがとうございます。

twitter.com/NAVYPINK9/status/1

これ、すごく興味深い現象で。
この間彼女とAfD(=ドイツのための選択肢:極右で移民排斥、反LGBTQ+、コロナ懐疑派)の元党員のドキュメンタリーを見てて。ゲイの元党員が出演してて。(現在も党員に配偶者が移民のレズビアンの人がいる。)
党の囲い込みかたがかなりカルト教団っぽいというのと、多分自己認識や自己の受容が上手くいっていない人の受け皿としてかなり機能してるっぽいんだよな。ということを二人で話し合ってて。
何故かここであれば仲間と共に自分らしくいられる。という経験を強烈に植え付けられるっぽい。

うーん...色々と仮説としては思いつくんだけれど。
知名度の違いと、有名度の違いと、聖人認定されてからの歴史がある人とない人。とはいえ、どちらの人物も教団としては重要人物なので、片方だけというわけにもいかず...的な文脈なのか...
ただ、タイトルが従来から知られていたものと決定的に違うことは確実だし、メインの登場人物も一人ではなく二人なのは確実。その中で人物像に優先度がある。というのはままあることなので、そうだとして...

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とはいえ、だんだん、おっさん...なんでここにおるん?なんでめっちゃメインの聖テレサのアトリビュートに囲まれてるこの空間でひっそり隠れておるん?
もしや後出しで描き足されたパターンなん?おっちゃん...なんでおるんや...

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ゼミ論文のテーマの祭壇画、また今度は人物ではないけれど、細々としたアトリビュートを大量に見つけてしまい...
見るたびに新しい発見。というか、ここまでくるとアレを思い出す。
サイゼの間違い探し。こんな細かいことわかるかいな!!!ってなるやつ。

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学部が西洋美術史なんですが、彼女と話してる時に、「やぶの学部って右左で言うと、右じゃない?リベラルではないよね。明らかに。」と言われ。
個人的には右ではないとは思うが、逆立ちしてもリベラルではない。というのはそう。専攻分野で変わるけれど、(おそらく現代アート専攻は左かつリベラルが多いんでなかろうか。)西洋美術史という分野で想像されやすい、18世紀までのヨーロッパ大陸でのアートを専攻してる連中はかなり保守的だと思う。同じ歴史分野でも、歴史学ならほぼほぼ左なんだけれど、美術史になると途端に保守によるのが興味深いよね。
多分、自分の好きで良いと思っている専攻分野の芸術が”優れている”という盲目的な視点が故にそうなりやすいんだろうと思っている。
”美しい”は見るものの文化的背景や、育ってきた環境、視点、視界の有無によって左右されるし、美しい=他より優れたという意味ではない。

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