問いをぶつけるにしても私じゃないんだよなぁ…
私からすると、お前ら双方ドイツ語圏なのに外国人ってお互い認識してなんか差別してんの?そんな文化違うんかー。ぶっちゃけその違い私には大まかにしか見えてないし、オーストリア人にドイツ人やから外国人扱い受けてる私も外国人差別の当事者じゃない?と聞かれても。
それ、私に聞かれても、正味あんたらのことはおんなじ言語圏の人で外国人言われて差別や!というのは分かるが私や他の人が立ち向かってる外国人差別の文脈とちょっとちゃうのでは?そこはドイツ語文化圏で隣同士でちょっと違ってるだけの他者をなんでか差別しあって失礼言葉ぶつけ合ってるあんたら内で解決すべき外国人差別というか他所もん差別であって…つかそれドイツやと旧東と西とか北ドイツとバイエルンとかでも似たような他所もん差別やってるやろ…っていう。
聞く相手私じゃないし…私に言われてもそこら辺の機微は分からんし…問題やとは思うが私の問題ではない。っていう。
あとはあれか。自分に向かって投げつけられる外国人という言葉が自分の内面にある外国人像に影響を与えているが故に想像力の限界を越えられず外国人差別の話で食い違うんだな。
彼女ちゃんが投げつけられる外国人にはオーストリア国籍ではない人という意味が付与されていて彼女ちゃん自身の内にある外国人像も同じくオーストリア国籍ではない人。という像がある。だから彼女の言う外国人はオーストリア国籍ではない人全てを内包しているため私もそこに含まれている。
けれど私に投げつけられる外国人という言葉には非EU圏非ドイツ語圏出身者という意味が付与されていて、私も自分がその意味での外国人だと理解して更に自分の内面の外国人像を作り上げてその意味で外国人と口に出すため私の言う外国人像には彼女ちゃんが含まれない。
人間の想像の限界もある。自分事に置き換えて考える場合自分の語彙と理解の範疇を越えられず、外国人差別の話題になる外国人は脳内で私と似た姿をしている。決してヨーロッパ人の見た目でドイツ語母語の姿をしていない。寧ろオーストリア国籍を持っているが見た目がヨーロッパ人ではない人も私の外国人像に含まれる。
そこがあるから話が食い違うんだな。