なかなかできることじゃない。すごいな…
「『今ここで人生が終わってしまったら、悲しむ人がたくさんいるから』と女性の手を握って引き戻した。1人で歩けない女性の肩を支えながら、歩道橋の階段を下りた。警察が駆けつけるまでの間、『もう大丈夫ですよ』と抱きしめて安心させた」
クリスマスイブの今日、
広島・スタバ横で無料コーヒー、スイカクッキーを配りながらプロテストしていた人がいたと知る。
https://nitter.1d4.us/riot_2020/status/1738190575470596409#m
日本がデモ下手とかないわ。こんなプロテストをできる人がいる。
希望は手づくりでつくるものなんだよな。
「国連安全保障理事会は、賛成13・反対0・棄権2で人質解放支援とガザへの援助増額を決議した。
米国は、暴力終結の呼びかけを緩和するなど、決議に水を差すために数日間これを延期した。
彼らは自分たちが望んでいたものを手に入れたのだ。それでもアメリカは棄権した」 https://twitter.com/prem_thakker/status/1738245956393402650
国と司法によるパワハラです…
QT: https://ddoskey.com/notes/9njemq0wuwgu721r [参照]
政治家なんてのはほんとうに求められる水準の仕事きちんとしようとしたら高い能力は要求されるし責任は重いし、誰もやりたがらないけど誰かがこれをやらねばならぬつらい仕事のはずなのに、こぞって子に注がせたがるのがほんとうにいかに連中がマジメに仕事してないか、という話でしかないんだよな。PTAの役員や町内会長でさえめんどうなことこのうえないのに政治家なんて、てのが普通にちゃんと仕事しようとする人の反応でしょう。
「誰かのために汗をかかないと」と本気で思ってそうな議員って共産や社民と、あと立民のほんの一部にしかいないようにしか見えないんだよな。
金のためもひどいけど、まあおなじくらい最悪なのが「自己実現のためにギーンやってる」連中で、維新はほとんどがこれ(まあ当然金目当ても併存してるんだが
駅前のスペースにある突起や、細かな段差などが「排除アート」とされますが、写真家の都築響一氏が「ギザギザハートの現代美術」と呼んでいました。私が知る中で一番古い用例です。
私は当時、「アート」という呼び方は適切ではないと考え、「排除オブジェ」と呼んでいました。アートというよりデザインに近いと考えています。実際に、海外では「Hostile architecture(敵対的な建築)」や「Defensive urban design(防御的なアーバン・デザイン)」などと呼んでいますね。
https://withnews.jp/article/f0210712003qq000000000000000W02c10101qq000023308A
パー券裏金や万博失敗やマイナカードや貧困格差などなどで自民党が仮に下野したとしても、立憲や維新が共産党を排除して連立内閣を作るような感じでは多分、決して、この国は再生されない。国民全体を巻き込んだうねりのような政治運動が立ち上がらない限りダメだろうなと思う今日この頃。
うん。
「僕は伸輔が死んでものすごく悲しかったけれども、それをどうやったら表現できるかといろいろ考えた。作家というのは、こういう話を書いて読者がほろっとして泣いたりするとニヤッと笑うんです。『してやったり』とね」
筒井康隆さん『カーテンコール』 89歳、通奏低音は「死の気配」
https://www.sankei.com/article/20231217-RB42CSGGDFMHBJJXOSCEAMEYQY/
自民から維新へ流れたら意味ないなぁ…
QT: https://mstdn.jp/@miraisyakai/111598093154187938 [参照]
うたうたい。もの書き。著書に『異物』(英治出版)など。ルーツレゲエとキューバ音楽を愛する旅人。静岡→東京→NY→東京→宮古島→那覇→ダナン(ベトナム)→バンコク(タイ)→午前四時の国在住