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5年後くらいに「ポスト・シネマティック・ポップ」が話題になる回

いちばんいいシネマティック◯◯、なんだろうな

イントロから「これが提唱者の手による『シネマティック』……!」と思った

imdkm さんがブースト

勝手にそんなこと言っていいのかわからないけど、私の意識としてはそうです

シネマティックヒップホップ?

imdkm さんがブースト
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最初っからアメリカのアカデミック・ライティングの慣習を日本の人文学系分野に持ち込むって明言してるし、論文がいかに特殊な目的を持って形式化されているか、査読を通すためのノウハウなんだってことも書いてあるから、それをわかったうえで読んでるなら別に言うことはないが…… みたいな

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ちゃんと読みきるとちゃうのかもしれない。

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阿部幸大『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』すごい本だな~おもしろいし、と思うがしんどかった院生時代をちょっとフラッシュバックし1/3ほどでいったん読むのやめた。WEBメディアや雑誌向けのライティングとは勝手が違う長尺の論考を組み立てるときの参考としてこころにとどめておきたい。演習も具体的なスキルの伸ばし方をきちんと指示していてためしにやってみたい。

ただこれがそんな売れてるのは普遍的な文章術として読まれてるのだろうか? 「長い文章を書く」ための具体的なメソッドとしては参考になる部分たくさんあるけれど、著者が繰り返しているように「論文」というある種のマナーが整理された場所に参入するためのノウハウ本という側面も強いので、そんな誰も彼も読んで「これだ!」って本でもないのではないだろうか……

imdkm さんがブースト

“イスラエルは何カ月もの間、ガザの人びとを人権と尊厳に値しない人間以下の集団として扱い、まったく責任を問われることもなく破壊行為を続けています。これはジェノサイド以外の何物でもありません。”

イスラエルに対し、直ちにジェノサイドを停止するよう、一緒に訴えてください。

ガザのパレスチナ人に対するジェノサイドに終止符を! : アムネスティ日本 AMNESTY amnesty.or.jp/get-involved/act

きょう半日で残りの原稿終わらせて、2時間位をインタビュー構成の下準備に割き、あとはDAWをいじりたい

imdkm さんがブースト

「汚す」行為がマチズモの現れだとするのは、メンテナンスとの対比で言っていて、おもしろいのだけど危ういとはおもう。「汚す」「汚れる」にもバリエーションがけっこうあるとおもうが、「ジェンダー化された労働」との対比として「男性的なもの」の単一性に回収されていて、それはそれで問題がある(部屋の汚ない女性は「男性的」なのだろうか?)。

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清々しいまでの地主メソッド
"海水というものがある。漢字の通りで、海の水のことだ。塩水なので舐めると当然塩辛い。塩分濃度は3.5%くらいだ。もちろん海水はそのまま飲むことはできない。だって塩辛いから。"
dailyportalz.jp/kiji/kausui-de

imdkm さんがブースト

菅原論考の問題点は、「汚す」行為を「男性的なもの」とすることによって、「片付ける」行為を「女性的なもの」とすることにあり、これ自体が遂行的に特定の行為をジェンダー化することになっている。「男性性/女性性」はここでは自明に存在し、かつ論考はそれを強固にしてしまう。
中嶋論考の例を出せば、具体の女性作家が幾何学的抽象を好んだという事例を挙げて、「幾何学抽象の世界は、合理性、科学、客観性によって支配される「男性的な領域」であると一般的に受け入れられてきた」ところに、田中敦子らがこういった様式を好んで用いたことをもって、ジェンダーを攪乱するよう振る舞った事例としている。

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imdkm さんがブースト

さっきの菅原論考と比較していいかというとあれだけど、菅原が男女二元論に捉われてしまっているのに対して、中嶋は男女二元論を前提としつつ作家がその男女二元論性とどういう距離感をとっていたかを明らかにしている。「男/女」はベタな前提ではなく、「男/女」という割り当てにたいして作家や批評家がどういう態度だったかが問題化されていて、こっちのほうが適切に議論を組みたてられるよなとおもう。
https://critique.aicajapan.com/7899

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imdkm さんがブースト

おもしろい。

日本戦後美術のジェンダーを考える
https://meigaku.repo.nii.ac.jp/records/141

ぜんぜん別というか個人的な関心事なんだけど、明治〜大正期にかけてけっこう女性画家がいるのだがあまり調査されておらず、どういう背景から登場したのかが議論されるどころか議論の土台がまったくない。議論の土台がないがゆえに、明治大正期には画壇は女性差別的な構造をもっていたから女性画家はでてこなかったとするフェミニズムの美術史語りが通用してしまうことすらある。それ自体転倒そのものなんだけど、構造的でないように見える事象って無視しがちなんだよな。

中嶋の議論が、戦後の女性アーティストが群をなして登場したことが、一見構造的ではないように見えることについてけっこう詳しく検討していて、議論の立て方そのものが参考になる。

ルークスレーターのエレクトロ期をふと思い出し、ちょっと聴いた。なんだったんだろこの時期
youtube.com/watch?v=KPc19-o4wE

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