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こっちで何投稿しよう、と思ってたんだけど、ff14のことトゥートしようかな!?

こういうことを言うのも何だが、『本好きの下剋上』は家族主義的な物語ではあるので、ファンダムが保守的な傾向にあるのもそれはまあそうでしょうねという感じ……。クィア成分ゼロなのもそのことと呼応するねって印象。私の中では高屋奈月『フルーツバスケット』や樋口橘『学園アリス』に近い印象を持っています。

個別の作品として私はとても好きだけれど、この作品が取りこぼしている人間の幸せの形は全然あるよな、という風にも思うので、これを「究極的」であるというような感想には賛同できないなあという気持ち。

本好きの下剋上32巻グレーティアの話。 

グレーティアもフェルディナンドも、全く自分の生い立ちを肯定していないけれど、しかしその痛みに耐えて必死で生き延びたことで、彼女なり、彼なりの視野の獲得があって、それがあるから彼女自身、彼自身になっているのだよな、というのは強く強く思う。

フェルディナンドは自分がそのような生い立ちであるからこそ、マインに同情して、助けてやろうと思ったのだろうし、孤児院を何とかしたいというマインに共鳴することもできたのだろう。決してそういう「有用性」のために彼の過去を肯定したい訳ではないけれど、彼が自らの生まれ育った環境や状況を痛みと共に咀嚼したから、彼はマインと心を通わせることができたのだよなあ、ということを思う。

グレーティアもそうなら良いなと思うんだよね。そういう日がいつか来て欲しい。別に結婚とかそういう形じゃなくて全然良いけれど、辛い経験が誰かを助けたり、支えたりする勇気や優しさの源泉になって、そのことによって彼女自身が救われるような、そういう経験をこれからできたら良いよね、と強く思う。

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本好きの下剋上32巻グレーティアの話。 

→で、そこから更に思ったのは、第一部末〜第二部の神官長がマインを哀れに思ったのは、そういう未来を生きる可能性が高いからだったのかな、ということ。
実際、神官長がマインに教養を身につけさせた理由は、貴族の愛妾になったとしても少しでもまともな待遇を得られるように……という思いがあったからだよね。
だとすると、神官長の目に見えていたマインの未来は、魔力が膨れて死ぬか、貴族の愛妾としてグレーティアと同じかそれ以下の生活をして生きていくか、だったのだろう。マインは身食いだし、平民としても貧しい生い立ちなのだから、主人の性格がアレなら、当然グレーティアより酷い扱いをされる可能性は高い。

最初はユストクスにマインを愛妾にどうか、と言ったのは、せめても人間的にまともな主人を持たせるのが良いのではないかと思ったからだろうと想像すると、さもありなんだよね。

グレーティアを通して、フェルディナンドがマインの中に見ていたものが何なのかが少し見えてきたような気がしたし、フェルディナンドがあの身分では珍しくしっかりと認識している社会の暗部がどのようなものなのか、それが彼の生い立ちと紐付いた形で見えてくるような気がした。

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本好きの下剋上32巻グレーティアの話。 

エピローグで明確に書かれたグレーティアの過去を考えていた。
愛妾は建前上は妻や娘の側仕えとしてその家に置かれていて、実際は男の伽をするということだよね。平安時代で言う召人(お手付き女房)にかなり近い感じだな〜という印象。

これを読んで思ったのは、つまりフリーダもこういう立場なんだ、ってことだった。勿論フリーダを買うであろうヘンリックはシドニウスに比べれば人間的にまともな人だろうと思われるので、もうちょい真っ当な扱いをされる可能性は高いけれど、それだって身食いという身分を思えばどうなるか分からない。
フリーダがグレーティアみたいな目に遭う可能性はゼロじゃない、よね。(続)

小説作品を書いたらこっちでもお知らせをしていこうかしら、など思ったのでとりあえずくるっぷを。
crepu.net/post/1766162

『嵐が丘』を読んで、現代人女性はヒースクリフを容易に描けるようになった一方、キャサリンを書くことは全然できていないのではという気がした。
はっきり言ってヒースクリフはこの150年で「よくあるキャラ」になるところまで来たけれど、多分キャサリンは全くそうではない、そうじゃない?なんて無責任に思う。

いわゆる二次創作界隈やファンダムというものにがっちり所属することに不自由さを感じるのは昔からだったんだな〜と改めて。

最近本好きの二次創作してる人になっているんだけど、やっぱりファンダムの窮屈さを感じる(これは本好きのファンダムが窮屈であるとかではなく、ファンダムはファンダムである以上窮屈なのです)ので、関わりたくないし関わりの薄い感じでいたい。

東方の同人誌とか同人CDとかもう全部処分しちゃったし処分して良いものだったとは思っているけど、今でもTaNaBaTaの音楽だけは好きで、ずーっと追いかけている。

東方は(今思うと)色々と問題含みのジャンルではあった(ある)とは思うんだけど、同人音楽というものに触れたり、男女両方の書き手がいたり、そういう幅の広さや自由さが好きでもあった。

そういう自由さの感じがコミティアとかへの関心に繋がったのかなという気はしている……。

blue skyに行きたがる人が多いのかなあ。
個人的にはここでも全然良いな〜って感じだけど……。

ツンデレが嫌いなんだと思うんだよね。コミュニケーションを混乱させる感じが嫌。
照れたり混乱したりして、感じたことと相反することを言っちゃう、という現象は別に何というか……普通だと思うんだけど、それが「キャラクター」になっているっておかしなことだと思う。

ローゼマインは勇敢なんだよなあ……。勇敢……本当に勇敢で、向こう見ず。フェルディナンドはローゼマインの勇敢で情の深いところが好きなんだろうな、と強く思う。彼女の中の燃えるようなものが好きなんだなあ。

恣意的じゃない感じでジェンダーの問題を物語に入れ込みたいよなあ、というのを凄く思う。作者の恣意が物語を支配しているように見えるのが本当に苦手なんだな、と思う。実際、支配しているんだけれどもね。

今格闘している。

フェルディナンドは結構チューリップの印象があるんだけど、一般的なチューリップのイメージって幼稚園の名札とかそういう系になっちゃうからちょっと難しいな……て思う。白とか淡いピンクのチューリップを抱えているイメージがあります。彼にとってのマインがチューリップっぽいのかもしれない。私の中で。

何となく白い花を合わせたくなるのは、彼に気高い印象を持っているからかもしれない。白木蓮(マグノリア)とかは似合うなあと思うし(花言葉は「崇高」「威厳」なのも似合う)、アーモンドの花も良い。鈴蘭やスノードロップ、馬酔木などの、鈴なりになっている花も似合うなあ。何となく初春の花を選びがちなのも彼の印象が冬と春の狭間の感じがするからなのかな。
(馬酔木については、「磯の上に生ふる馬酔木を手折(たを)らめど見すべき君がありと言はなくに」が第五部の彼っぽいというのはある。でもこれ挽歌だな)

フェルディナンドに似合う花を選ぶというより、どうしても彼にとってのマインがどのような花なのか、に寄ってしまうねえ。
マインの存在抜きに彼に花を選ぶというのは、思った以上に難しい。

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まあそれを言うと、矢車菊はツタンカーメンのイメージとかもあるからなあ。花を選ぶというのはそういう面もあるから、楽しいけれど難しい。

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「ヘリオトロープ」という言葉も、元々はもしかしたらこの話を指しているのかも、というような話もあり。

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いざ好きなキャラクターに花を一輪当てると思うと難しいな。
私の中では、マインちゃんは可憐でちょっと野の花っぽい感じの方が似合うと思っていて、金盞花や矢車菊(コーンフラワー)、紫苑とかかなあ。何か菊科になっちゃうね。
撫子とかも似合うと思うんだけど、大伴家持の「秋さらば見つつしのへと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」が思い出されてちょっと撫子は無理……ってなってしまう(これは妻を亡くした家持が詠んだ歌なので)。

「夢の花束」で当てた通り、紫陽花は似合うと思う。「オルタンシア」という名前は、女性名が先にあってそれが紫陽花の花に転用されたみたいだけれど、やはり女性の名前のイメージだし、シーボルトと滝のエピソードもあるし。

カレンデュラは金盞花のことなので(まんま英語)。

マインちゃんはひまわり的な話があった訳だけれど、同じく太陽花的な伝説があり、年中咲いていて、calendarという言葉と語源的にも関わりがあるということだったので、カレンデュラにして良かったとは思う。ただ、こういう文化史的な事情は小説には持ち込めないからちょっと残念。

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マリーゴールドにしなくて良かったなーというのはレーヴェライアの花の詳細が出た時に思った。

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『み空の花』の一番最初の段階では、マリーゴールドの花の話にしたかったんだよね。でも「marigold」という言葉が指す花が、現代日本語の「マリーゴールド」なのかとか、色々問題が出てきてしまって、当初の予定からズレちゃったのでした。

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