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最終幻想レムナントで、メーティオンが「知恵を磨き、争いを絶やした星もあった……」と言った時、エスティニアンが「なんだここは… 生きた心地がしないぞ」と言うのは知っていたのだけれど、他のキャラクターのセリフと見比べてみて、改めて色々と考えてしまった。
他のキャラクターがこの世界について「美しい」「寂しい」「穏やか」といった感想を漏らしているのに対して、エスティニアンは明確に強い違和感を表明している。
このラーラーの世界は滅亡に近い静穏さに覆われている訳だから、彼が「生きた心地がしない」と言っているのはその穏やかさや静けさに対してなのだろう。彼にとってこうした静穏とは、例えば息苦しさに近いものなのかもしれない。この台詞からはそんなことを感じる。
エスティニアンがウルティマ・トゥーレに風をもたらしたことを思うと、彼の「生きた心地」、すなわち「生きるとはこういう感じ」という手応えというのは、きっと動的なものなのだろう。そんなことも想像される。
彼にとって静穏とは、それら背負うべき荷物、果たすべき使命、人生を歩んでいく上で必ず引き受けねばならない苦闘や試行錯誤、それら全てを放棄した先にある寂滅の安らぎでしかない。
生とは常に風の吹くところ、何もかもが一つところに留まらない、動的で移ろいゆくもののことなのだ。
だからラーラーの世界を訪れた時、彼は「生きた心地がしない」と言ったのだろう。