ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』読み終わった。Kindleで寝る前に読んでいたが、昨日今日とワクチン副反応により動かずにいて、そのかんずっと読んでいたのだ。語り手がこんなに人間に深く入り込んで語り、しかも物語世界がパノラマのように広がる小説ってあるだろうか。
三人称の語りで、語り手が時にみずから顔を出しつつ、登場人物ひとりひとりにそのつど寄り添い、会話の表面と人物の内面のずれと相互理解のずれを丹念に語っていく。そしてカソーボンはおれだ。いや、リドゲイトもおれだしラディスローもおれだ。良い小説はこれだから読むのがつらい。
光文社古典新訳文庫の廣野由美子訳で。廣野由美子は京大独文出身で学部卒業後に英文学に変わったとのこと。
ジョージ・エリオット読んだらやはり『アンナ・カレーニナ』読まなくては(トルストイ若い頃敬遠していて、これもじつはぜんぶ読み通せていない)。
Twitterで燃えてる木簡関連の投稿についてはまず、21年の投稿(画像)があり、以降木簡=実社会で役に立つか怪しい研究を指すネットスラング となっていた。それを踏まえた上での今回の投稿は、具体的に木簡研究を云々するというより「そういうもの一般」への言及だったわけだ。
木簡が、シェイクスピアが、三角関数が役に立つ/立たないの議論は散々繰り返されてた。だが「役に立つ」を与えられた枠組みの中での部分最適化に留めるのではなく、より期間は長く、ターゲットは広く、冗長といえるスケールまで拡大すると、「役に立ち具合」は薄まって見えにくくなる。その薄まった「役に立ち具合」が見えるようになるためにも、木簡だのシェイクスピアだの三角関数だのを学んでおく必要があるのです、たぶん。
ローレンツ・イェーガー著(長谷川晴生・藤崎剛人・今井宏昌訳)『ハーケンクロイツの文化史 シュリーマンの「再発見」からナチ、そして現在まで』を頂戴しました。ナチスのシンボルに至るまで、そしてその後の鉤十字に人びとがどんな意味を読み込んできたかが綴られた面白い本です。
もらったばかりなのに「面白い本」と書いたのは、実は訳稿をチェックするお手伝いをちょこっとしたため、すでに読んでいるからでした。その経験からすると、訳文はまことこなれていて読みやすく、さらに懇切丁寧な解説付き。アマゾンでももう出ていますので年末年始にどうぞ。
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国内SF読者向け:
北野勇作さんのTwitterメインアカウントが永久凍結されたり
(https://twitter.com/kitanoyu100/status/1606964289738539008?s=20&t=TT9K2ni2L8GpAcnUF9O1lw )
北原尚彦さんのTwitterアカウントが乗っ取られてご本人が使えなくなっていたり(https://twitter.com/seirindou/status/1606856743635808264?s=20&t=TT9K2ni2L8GpAcnUF9O1lw )
……という状況だそうです。
執筆者のかたよりお送りいただきました。
米村みゆき・須川亜紀子編『ジブリ・アニメーションの文化学 高畑勲・宮崎駿の表現を探る』(七月社、2022年12月)
ドイツ関係では、
第6章「高畑勲『アルプスの少女ハイジ』 ドイツ語版アニメーションとの比較研究」(西口拓子)
が。
東京で生まれて埼玉で育って神奈川で暮らしています ドイツのこどもの本やおとなの本やドイツ語教員や独日翻訳