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隣の建物の解体工事やっと終わったと思ったら今度は向かいの建物の解体工事始まるやんけ……:oshirase_blobcat_futon_yodare:

今日実は誕生日なので割引されてないお刺身とビールも買っちった​:oshirase_blobcat_fork:

帰ってくる途中、関太そっくりの中学生男子が女子の目の前で猛ダッシュしてて、そのまま女子に近づいたときに「やっぱしんどいわ、全力ダッシュは」って爽やかに言っててかっこよかった

うわぁ~傘持ってきてないのに雨降ってきた最悪~走れ~~~
会社に戻って缶チューハイ開~けよ!→炭酸が弾けて半分くらいこぼれてズボンとシャツびしょびしょ​:ablobcat_zubunure:

今日、うんちとおしっこの話しかしてないな​:oshirase_blobcat_waai:

ピュタゴラス派の戒律に「太陽に向かっておしっこをすな」とか「切った爪とか髪の上におしっこをすな」とかおしっこに関するものが幾つかあるけど、放っておいたら好き勝手におしっこする集団だったのか単純におしっこが好きだったのか謎が多い

仕事で調べものしてて知ったけど、アメリカのキッズの間では虹はユニコーンのうんちというのが常識らしい

古代ギリシャの「見ること=知ること(idein)」をセールの「知ることは殺すこと、死を前提とすること」っていう言葉と合わせて考えてみたとき、博物学全盛期に向けて文字通りの死物の収集として世俗化していって、学習の手段も記憶術から辞書の編纂術、普遍言語の探求に変化していくのも面白い

そもそもピュタゴラス派は身なりも汚くて顔が陰気という陰キャ集団だったらしいので親近感が湧く

ピュタゴラス派は朝起きる前、寝る前に起きた出来事を思い出す訓練をしていたそうだけど、この記憶術がプラトンのイデアの想起説に繋がってくるの面白い
つまり、ピュタゴラス派にとっては輪廻転生したときに前世の記憶を思い出せるようにする目的があって、かたやプラトンの想起説ではこのオルフェウス教の死生観を基にして、イデアは生前=死後の世界(要は魂だけの純粋かつ普遍的な領域)にあるので、生まれる前に触れたはずのイデアを思い出すことが学習であり知のあり方だったという説

ジョギング終了
やるたびにパワーアップしてるのを感じる​:oshirase_blobcat_muscle:

そんな暴力や監視、友か敵かの二項対立を前提にした社会規範より、贈与や互酬に基づいた生き方の方がいいと思うけどね

自由と責任はバーター論は道徳主義の観点からリベラリズムを批判する過程で生まれたもので、まぁ詭弁というか
自由にも絶対的な自由と相対的な自由があって、絶対的な自由を認めるとホッブズがいうような「闘争状態」が生じるので、約束して法や秩序に従おうという考えが生まれる(社会契約論)
なので強いていえば、こういう仮説から想定される国家権力や規範意識に従う限りの自由が保証されるとともに行為に対する責任(responsibility、accountability)が生じるけど、バーター論をとるひとは大抵、家父長的なものやマチズモに親和的な道徳観念を好むので、実際のところは責任というよりかは従属性を前提に起きたがる傾向がある、気がする

熊野と高野山は行ってみたいなと思ってホームページ見たら拝観料高いな

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