自由と責任はバーター論は道徳主義の観点からリベラリズムを批判する過程で生まれたもので、まぁ詭弁というか
自由にも絶対的な自由と相対的な自由があって、絶対的な自由を認めるとホッブズがいうような「闘争状態」が生じるので、約束して法や秩序に従おうという考えが生まれる(社会契約論)
なので強いていえば、こういう仮説から想定される国家権力や規範意識に従う限りの自由が保証されるとともに行為に対する責任(responsibility、accountability)が生じるけど、バーター論をとるひとは大抵、家父長的なものやマチズモに親和的な道徳観念を好むので、実際のところは責任というよりかは従属性を前提に起きたがる傾向がある、気がする