大西民子
大西民子の評伝読んでよかった作品
夜もすがらわれに来てゐて雪の上に跡も残さず去りし何もの
落ちてゆく眠りのなかにまざまざと見えて昇れぬ階梯を持つ
ひとすぢの光の縄のわれを巻きまたゆるやかに戻りてゆけり
てのひらをくぼめて待てば青空の見えぬ傷より花こぼれ来る
かたはらにおく幻の椅子一つあくがれて待つ夜もなく今は
「ひとすぢの」の〈の〉の使い方がいいのと、傷はじめ、代表作の「幻の椅子」など象徴性と空想性に富んだ作品が多くていい
病みおれば遠ざかりゐてかなたなる人と人とのさかい目も見ゆ
本あまた枕べに積みて臥す君が注射せし痕の痛みを告ぐる
ひつそりと残雪ふみてもだしゆく傷つきやすき君と知るゆゑ
など、書物を読んだ歌だったり後に離婚した夫との恋愛を主題した相聞歌も儚さと怜悧なリアリズムがあって好き。そしてどこか齋藤史を彷彿させる次の歌もいい
水底の藻屑とふ語にもあこがれき死は美しと思ひゐし日々
塚本邦雄が一首の短歌でどれだけのイメージが捨てられたかが大事みたいな話してたけど、文章を主として絵画でも漫画でも彫刻でも作品全般において、何が省略されているかというか、表現されているもの以外のものを如何に表現しないかという修辞法上でいう省略法(エリプシス)が、作品あるいは表現にとって本質的で、
そこに現れているものを交差的な経験として、無いものを読み込んでいく創造的な誤読みたいなものを、単に解釈の問題と言うよりは編集的な問題として省略のうちに相互作用を仕込んでいくのが大事みたいなことを一言で言いたい
っていうのをついさっき思ったけど、いやこれめちゃめちゃ当たり前の事を言ってるだけだなとも思い、でもそういう自明のことが異化されるのが頓悟の妙みたいなところあるよねって書いていくうちにどうでもよくなっていく事象が発生しました
民博の吟遊詩人の展示行きたい……
過現未