楽しみにしていた森下大河。
べらぼうのヌードについて賛否両論があがってきているが、私はあれはあの裸で正解だと思う。
衣服をはぎ取る=尊厳をはぎ取る
遊女が亡八たちや男によって単なるモノとして扱われているということを生身の人間で見せることによって視聴者につきつけるためのものである。
また、なるべく性的にならないアングルでとっている。女性の尻のわれめの見え方も浅く、ロングでとっている。顔も判別しにくくなるようにうつ伏せにしている。
配慮なしでやるとすれば仰向けで置いた方がより残酷さは増すし昔のドラマならそうしたと思う。出演者とスタッフの間でICが調整役を果たしていると私は解釈した。ヌード濡れ場は配慮してようが必要かどうかを精査して描かれたかなんかどうでもいい、全部サービスシーンで全部害悪まで言っている人がいてそれは違うのではないかと思う。
Netflixで海外のドラマ観てるといやこんな長い濡れ場とか裸いるか?みたいなの結構あるのは事実だが。

『視線』Netflix
シリアルキラーが自分の孤独さを埋めるために殺す女性を見続けるが女性の視線は死んでからのものというのが人間をモノにしているのがどうこうというより孤独でいない勇気をもてないのだなと思った。ルーマニアにつれてこられて孤独であるジュリアンだが言葉を覚えようとするしストリッパーである隣人と友情をはぐくみ始める。彼女の出した勇気と行動を夫や警察官は馬鹿にするが彼女は最後まで行動している。だからこそのあのラストなのだろう。
ジュリアンの友人や乗車したタクシーの運転手は言葉を話せない彼女を軽い気持ちで馬鹿にするが、イリナは自分も経験があるから馬鹿にしない。そしてジュリアンも彼女の職業をさらっと受け止めている。
また薄暗い画面とかさむざむした空とかが彼女たちの孤独をしっかり表していてよかったな。

『タイムカット』ネタバレ感想 

犯人は最初から姉の幼馴染のおとなしい青年だろう、理由は冒頭で渡したラブレターをつっか返されたからと予測していたが、途中で主人公と一緒に殺人犯に追いかけられるという彼に鉄壁のアリバイができてしまう。主人公が作ったタイムマシンは過去に作られたと思い込んでいたから。これは騙された。

主人公が選ぶよりよい社会、姉はカミングアウトし恋人の女性と結婚、友人になったいじめられっこのオタク青年はふられたことを20年近く恨み続けてタイムマシンを作ることなく親友ができる。
姉は勇気が出せず、弟のように思っていた彼のいじめを見過ごし、恋人と一緒の人生を諦め彼女を喪ったが妹と出会ったこと未来を知り勇気を出す。青年は孤独に陥ることなくふられたことも前向きに受け止める。
妹は姉の身代わりとしか見ていない両親と決別し過去の世界で自分として生きることを選ぶ。
後味のいい過去変更ものでした

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『タイムカット』Netflix視聴。
ネタバレなし。
・白人父とアフリカ系アメリカ人母をもつ非白人ヒロイン。
ヒロインが白人でないことに別に意味はない。
・主要キャラに同性愛者はいる。それはストーリー展開で意味がある
・いじめられっ子のオタクの弱い白人男性も主要キャラ。

シリアルキラーに殺された姉のかわりに生み出され、両親の過剰な干渉を受けるヒロインは偶然遭遇したタイムマシンによって姉が殺される直前に戻ってくる。
姉が生き延びるルートには自分は存在しない、それでも彼女を助けるかという葛藤。
全体的にコンパクトに仕上がった佳作品、最悪の世界をこのまま見逃すか、それとも自分のいないよい世界を作るかの選択。

私の大好きなタニス・リーの『冬物語』でもあったけれどタイムトラベルものでは定番の究極の選択。

結末はハッピーエンドだが主人公がそれを選択したのが新しい。また、単純な恋愛エンドにせず友情エンドにしたところもちょっと斬新だと思う。

『自由研究に向かない殺人』Netflix版視聴 ※三部作原作のネタばれを含みます 

登場人物キャストがイメージ通り。
これはグッドガールがバッドガールのことを暴く話でもあるが三部作まで読むとまた話が変わる作品だ。
しかし第二部、第三部ができるかどうかは不明。
なので、スタッフ側は改変を行った際に
アンディのサルに対しての気持ちは本物であったことと、ベル家の支配者の真の顔である殺人鬼の話題、また最後のピップとマークの電話口での対決を対面でさせるなど、三部作への含みをいれている。
原作読んでいない人は流すだけだが、そうじゃない人はわかるようになっている。

アンディは本当にろくでもない女なのだが、殺人鬼に性格をゆがめられ、妹と自分の命の危機をうっすら感じて生きてきた。だから善良で正しい男であるサルの前では普通の女の子でいて、大学までついていきたかったのだろうという必死さを最後のラブシーンで表していてちょっとよかったなと思った。

スノーガール Netflix感想 

少女の誘拐を追う記者と家族の苦悩の物語。
主人公の見習い記者はレイプドラッグの被害の過去があり犯人は不明、なので性犯罪の可能性の高いこの事件にのめりこむ。実際の犯人は被害者の母親、不妊治療専門医師の患者夫妻。
5話は犯人の視点から書かれ6話の途中で記者と対決する。
子供がほしい女性がとっさに誘拐してしまうという悲しい話だが制作側は彼女を利己主義者として描いている。母を求めて泣く子供に自分が母親だと監禁して洗脳する。見つからないようにするため子供を外に出さず、ローンの確認に来た銀行員を殺す。さらに罪が発覚したときには誰にも渡さないと心中をはかる。
返してくれなくてもいいから娘を傷つけないでとテレビで呼びかけ、ラストで自分たちのことを忘れた子供が本当の名前に反応しないので犯人がつけた名前で呼ぶ母親。罵られながらも懸賞金をためた父親。犯人が愛したのは子供じゃない自分自身だと対比すればはっきりわかるしいつかは娘の心に二人の気持ちは届く、犯人のおぞましさを彼女が理解する日もくるだろう。
主人公の件がはっきりしないのでシーズン2ありそう

『サユリ』鑑賞 

主人公一家が
・明るい姉
・快活で優しい兄
・かわいい弟
・家族思いで穏やかな父
・認知症の義母のこともおおらかにうけとめる優しい母
・妻を愛する明るいじいさん
・認知症のばあさん
で全員思いやりがあり絵にかいたような幸せ家族。
前の家族たちは殺される前に逃げる余裕があったけれどひと月足らずで壊滅させられたのは彼らが思いあう良い家族だったから嫉妬されたのかも。
また純粋に娘を心配して様子を見に来た父親が真っ先に殺されたのは娘(元サユリ)の寝室に踏み込む『父親』が彼女には絶対許せない行為だからか。
虐待父は肛門にバールをつっこまれて死に、見て見ぬふりをした母親は目を潰されたのはわかるが虐待されなかった妹が殺されたり、性虐待の被害者に女性器ワードで退散させるというのは知らなかったからとはいえもうちょっとなんかあるやろみたいなしっくりこないところもある。妹をかばうシーンもあったし。
面白かったけど人にはすすめにくい映画。

ラストマイル 観てきました 

DAILYFAST社をてっぺんにした搾取の構造。
報酬据え置きされたドライバーたちと契約している羊急便、その責任者八木に無茶な仕事を押し付けるDAILYFAST社のエレナ、その彼女を脅し彼女を利用とする日本社責任者五十嵐、しかし彼はアメリカ本社の責任者に厳しく失態を追及される。
しかし人が落下しても止まらないコンベアーを前にした五十嵐の恐怖の表情で世界は反転する。

この搾取のてっぺんにいるのは私たち消費者なのだということ。

そして下の下の位置にされている佐野親子たち契約ドライバー。「日本のモノづくり」に誇りをもってやっていたのに消費者たちに切り捨てられた佐野亘の「誰もおやじのこと大事にしていないよ」という悲しいセリフ。
しかし配送の仕事の原点は佐野父が語る、客が自分たちの荷物を待っているという誇りでそれは伊吹の「チョーいい仕事じゃーん」と同じ気概だ。
米国のDailyFast社から見たらとるに足らない存在であろう佐野親子が己の仕事に誇りをかけた結果に涙が出る。
頂上にいる私たちが出会うのは彼らだけだというのも皮肉的な事実だ。

何故かっていうと三体の登場人物の多さは覚えるの大変だったから。『行動』や『葛藤』など『DO』や『BE』が重要ならその部分こそを『キャラ』にしてしまうという方法は乱暴だし、三体愛読者に対してはがっかり演出だっただろうが未読の人には有効な方法だったと思う。
そして私の場合この再構成のおかげで「あ、墓参り」「あ、余命僅か」とか原作のエピソードが頭に蘇りわくわくできた。
大胆な再構成により、三体のざっくりした面白さを未読の人に伝えられ、また一回読んだけど記憶があやふやな自分みたいな人には設定の再確認をすることができた。
ちなみに虐殺や拷問はばっちり再現されているので映像ならではの迫力を楽しめる。

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NETFLIX『三体』
最初はオックスフォード5ってなんやねん! ってなってましたが完走した結果。え、これすごくよくできてない?と認識を改めました。三体ガチオタの人にはまったく勧めませんが三体ってどんな話か読んでみようかなーというライトSF層におすすめする場合、ネタバレオッケーなら、まずこれを観てからでもいいと思う。
三体ってなんかすごい人たちがわらわら色んな目的をもって人類を延命させるジャンルでそのなんかすごい人たちのわらわらぶりが銀英伝を想起させる。
ただ銀英伝というか田中芳樹はキャラを作るときに私生活の細かい個性づけをちょくちょく入れ込むが、三体はそういうのあんまり無く本当に話のためだけに作られた駒みたいな扱い。
例外はすべての始まりの『彼女』くらい。後、田中芳樹の小説に出てきそうな大史。
三体それぞれの主人公も書き込まれてはいるが、キャラとしての個性はこの二人が頭ひとつ抜けている気がする。

オックスフォード5は三体の登場人物たちを細切れに再構成しているのだがこれは私は成功だったんじゃないかと思う→

『雨に消えた向日葵』WOWOW/Netflix視聴
小学生の女の子が下校途中行方不明になる事件が起こり、その捜査に当たった刑事と残された家族の視点で描かれたドラマ。
ムロツヨシ演じる刑事は実は犯罪被害者の家族なのだがそのことは仲間の刑事も被害者家族も知らない。一つの事件にこだわるな、被害者家族の気持ちはわからないと周囲から非難されても彼は常にその事件のことを考えている。その動機は妹の助けを呼ぶ声を聞き逃してしまった、だから少女の声を絶対にキャッチするという決意からだ。
最終回まで派手なシーンはないし地道な捜査だ。ヒラリー・ウォーをなんとなく思い出す。
もう一人の主役、佐藤隆太も最初はエリート然とした娘たちを物でつって親権をとろうとする典型的な自分が正しい父親なのだが娘を失ったことで本当に大切なものがなんだったのかに気づいていく変化が自然で、過ちを犯したり妻や娘とちゃんと向きあい、虚勢がなくなっていく過程が丁寧に書かれていて最後の涙につながっていたと思う。
朝霞の事件が参考になっていると思うけど、中傷と偏見の内容が犯人の思い込みと同じレベルだった。
netflix.com/jp/title/81720148?

舳野 さんがブースト

Twitterのコンセプトは「なう」だった。「今なにしてる?」を短くつぶやく。だからみなの「今」が多角的に集まって、それがすごくおもしろかった。けれども、今は編集もできれば課金によってできることもバラバラ。「今」を担保しない。この時点で「Twitter」というコンセプトは終わっていた。名前をXにする前からとっくにTwitterは終わっていた。

『シェラ・デ・コブレの幽霊』
観ました。心霊探偵と彼の家政婦さんの会話とかは古い探偵ものっぽくて好きです。
幽霊シーンそのものより、怖いのは最後の「彼女」の諦めた顔かな。
幽霊ものなんだけど一番怖いのは人間的な話だった。

十角館の殺人の感想(原作トリックにも言及しています)と実写化、もしくはメディアミックスについて。実写版のネタバレ、原作も含みます 

この犯罪の動機なのですが、読んだ当時もちょっと弱くないかと思いました。かなり理不尽。
皆が無理やりに千織にのませたということは考えにくいし、読者が何人かの記憶を見る限りでもそう言った事実はない。三次会に誘ったこと自体が悪といっても、今までだって断っていたのだから本人にその意志があれば断ったはずだ。
事故として忘れ去った仲間たちが許せないといってもオルツィが苦しんでいたのは犯人だって知っていたのにその場にいただけで絞殺。
ドラマ版はそこを深堀していて犯人の思い込み(わざと助けなかったんだ、ミステリー研究会だから悲劇の始まりに興奮していたんだろう)や千織がどうして参加したのか(原作のオルツィの回想みるとあり得るかもと思えるんですよね)つまり犯人の理不尽さ身勝手さを、ちゃんと描いている、この作品に対する感想や尊敬が現れている改変つけたしと思いました。よかった。

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十角館の殺人の感想(原作トリックにも言及しています)と実写化、もしくはメディアミックスについて。実写版のネタバレ、原作も含みます 

大仰な台詞、鼻につく態度、文章で読んでもありえない漫画チックな人間をそういう人間に落とし込んでちゃんと視聴者の注意をひいているんですよね、つまり原作通りの役割を担っている。
監督が長年やりたかったという言葉は嘘ではなくマジなんだろうなと思うほどの原作尊重。改変したのは江南さんところの大家さんとのコミカルなやりとり。これはおそらく1986年代の空気感を強調させるためかなと思いますが少なくとも原作設定の邪魔にはなってなかったかなと思います。

映像化するにあたって原作を素材化している作品のあまりの多さにうんざりしたり、ミステリーファンだから皆このトリック知ってるだろうから地上波で犯人側から見たクリスティーをやるという相当無神経なことを愛でやった人もいるので。
有名ミステリーのトリックをここまで大事に扱った映像化って珍しい気さえする。

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十角館の殺人の感想(原作トリックにも言及しています)と実写化、もしくはメディアミックスについて。実写版のネタバレ、原作も含みます 

芦原妃奈子先生がドラマ脚本を書かれた経緯説明の際、綾辻行人先生は自分は気にしないという話をしていてジャンル的※にそうだろうなというのと、綾辻先生の場合原作通りは無理でしょうと思った。
ところがこの「十角館の殺人」はほぼ9割原作通りといういう恐ろしい代物だった。
文字情報しかない読者に「AとBは別人」と思いこませることが最大のトリックなので、視覚情報にするならどうしたって変更するしかない。ところがこれを原作通りやった。
ヘンな小細工無でヘアメイクと配役でやってのけたんですよ。
メガネ外したら別人、髪形変えたら別人を実写でやった。
実際指名手配犯が同じことして逃げおおせた例はたくさんあるので、あの役者さんのファンでない限り気づかなかった人も多いのではないかと。
照明とか角度も工夫して真犯人が映るシーンも存在感が埋没してしまうようになっている。
そして、狂言回し役である江良リイに『望月歩』。だれだよ決めたの、天才かこの配役。原作でもエラリイは煙幕であり狂言回しでよくも悪くも読者、視聴者の注意をひく存在。→

十角館の殺人の感想(原作トリックにも言及しています)と実写化、もしくはメディアミックスについて。実写版のネタバレ、原作も含みます。屍人荘の殺人についても少しふれてます 

大仰な台詞、鼻につく態度、文章で読んでもありえない漫画チックな人間をそういう人間に落とし込んでちゃんと視聴者の注意をひいているんですよね、つまり原作通りの役割を担っている。
監督が長年やりたかったという言葉は嘘ではなくマジなんだろうなと思うほどの原作尊重。改変したのは江南さんところの大家さんとのコミカルなやりとり。これはおそらく1986年代の空気感を強調させるためかなと思いますが少なくとも原作設定の邪魔にはなってなかったかなと思います。

映像化するにあたって原作を素材化している作品のあまりの多さにうんざりしたり、ミステリーファンだから皆このトリック知ってるだろうから地上波で犯人側から見たクリスティーをやるという相当無神経なことを愛でやった人もいるので。
有名ミステリーのトリックをここまで大事に扱った映像化って珍しい気さえする。

小川洋子と文学という市のイベントに行ってきたのですが、掲示板で参加者が自由に演者に話しかけられるという方法をとっていたんですが私には無理過ぎた。
集中して聴こうとすると質問したくてもちゃんとした文章かけないんですよ。何回か掲示板みたけど「こんにちは」「ラジオ聞いてました」みたいな呼びかけが殆どでした。

いつまで待っても大型セールが来ないので一番セール率が高いときにn番部屋を燃やし尽くせを買って今読み始めたけど「日本のAV見とけ」とかn番部屋への入る条件に日本のアニメの女性キャラをプロフ写真にセットするとか出てきて日本人的にきっつ。
エロのアイコン化してるじゃん、日本。

ノンバイナリというか敢えて女性系男性系代名詞を使わず、男か女か明らかにしない小説というのはものすごく読者選ぶ。
女性だから、男性だから、で社会にくっつけられる色んなもの の情報を全部カットするので読者はそれを脳で捕捉することができない。それが正しいか悪いかではなくそこにおける葛藤は確かにあるのにそれを無視して読ませるのでまったくそれが話の筋に関係ないならそれでいいんだけど。
実際私も読むし好きな小説もあるけど読みにくいと言えばそう。

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