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浅井さんのOne on Oneカンパニーの作品だと毎回小さい箱で生演奏でミュージカルやってくれるのでNo.6くらいデカイ箱でやると最遊記歌劇伝の記憶のほうが色濃く引っ張り出されてきて脳みそ不思議だなあって思った

あとね、あ〜古田一紀だ〜!!!てなるよ

ミュージカルNo.6のダイジェスト映像11分あるの凄まじいよね、本当に良いミュージカルだったのでダイジェストだけでもみんな見てね、ド頭から浅井さんの歌詞だし楽曲だなあというのをひしひし感じられるよ
youtube.com/watch?si=sDcldMk8L

平ゼロオーディションでジョーは100人単位の参加者が居たことと紺野さんだけ櫻井さんの声は反対だったことが発覚して面白かった

平ゼロの話からサイデビの話も出てきた〜これ本気でRE:CYBORGの話だけ出てこないじゃんw

009ファンミで井上さんから思いがけずコゼロの話もちょろっと出たからそれならRE:CYBORGの話も聞きたいじゃんね〜宮野真守も呼んでくれ

井上さんエンペラーのこと覚えてるんだ〜って失礼なことを思ってしまった、でもコゼロのラスボスに井上さんキャスティングしたのは熱いよな

まあ私は超銀河伝説に対しての感情は割と無なので単純にポリティカル・コレクトネスを腐したいだけのオタクの言動にムカつくってだけなんだけど

1960年代に問題ないと思われた描写が1980年代に再度アニメ化される時により多くの人に楽しめる表現へと変化したってことが2024年になっても許せないってなんなんだろうな

サイボーグ009のファンミ配信ちょろっと見てたんだけどチャット欄のオタクが「ピュンマの顔、超銀から変更…当時からうるさかったポリコレ」とか言っててすごい最悪だな

生理、シンプルに具合悪くて最悪よね

お披露目会レポどれも楽しそうでうらやましい〜4th始まった頃すげーdisってた人も見に行ってるのにずっと大好きな自分がどうして見に行けないんだという恨み辛みが湧いてくる😭これは生理で鬱々してて良くない感情が増幅してるし好きかどうかとチケット当落は関係ないし別に手のひら返していいんだけど

今あらためて聴く全部だきしめての歌詞が良すぎて泣きそうですよ、きみのすべてをぼくの自由にしたくてずっと大切にしてきたわけじゃない

光一さん作のあのきんきアー写イラストの話も良かった〜原作者が光一さんでつよさんがアシスタントなの☺️あの色をつけたのはつよさんなのに一旦すっとぼけるのなんなんだかわいい

ふたりどヤ聞いてたんだけど、つよさんの僕たちのままにって言葉も、光一さんの文化放送さんという大事なことを二人で話せる場所があるって言葉も、この場所で二人の言葉で伝えていけたらって言うのもすごく良かったな。ずっと声が穏やかででも決意が滲むようで。諸々着地したんだな、続報を待ちます。

今回前方席で見てて、役者が長銃を構えてる表現から大きな銃声、苦しむ悲鳴や怒号、爆発音や映像表現を見てるとガザ地区の虐殺の映像と重なる感じもあってゾッとしてしまったし、必要以上のショックを受ける人も中にはいると思う。舞台作品もトラウマやフラバや苦痛を回避するトリガー警告は必要だよ。

これはミュージカルNo.6だけの話じゃなくて前から言ってるんだけど、舞台作品だとトリガー警告が全くない事が多くて、今作品は表現内容としてトリガー警告があって欲しかった。暴力表現、銃火器を使った戦闘描写、銃声や爆発音や怒号、大きな音や声や光の演出なんかは事前の警告があるべきだと思う。

原作もアニメも見てないからめちゃくちゃ的外れかもしれないが舞台No.6の紫苑は本人が全く無自覚なクローゼットの少年に見えたんだよな、窓を開けて外に出たいけど出てはいけないという抑圧、開けることで開けていく世界、その両方が演出から見えるようで、元々の世界観だとどんな感じなんだろ

No.6の世界だと絶対にクィアは矯正施設に連れ去られて生きていけなくて亡くなるか物理的に殺されるか"矯正"されて帰って来たあとに自殺するパターンだなあと思ったし、紫苑がもしもクィアな少年だったのならそういう意味でもネズミに出会ったことで生き延びたんだなと感じた

舞台だと紫苑が窓を開く印象的な描写が序盤の出会いのシーンとカテコ後にあり、嵐の中窓を開けて叫びたい衝動とその後の出会い、主体的な自我の芽生え、ネズミという存在が他者と違い意志を持って手を伸ばしたい相手である表現からクィアな少年として描かれてるのかなと思ったんだけどどうなんですか?

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