李氏と筑摩の件で私がもっとも怒りを覚え、かつ絶望していることは、「監修協力者への確認を怠ったまま刊行した」という出版業の初歩中の初歩みたいな手続きの不備が根本原因となっている事態に対して、出版関係者のほとんどがなにも反応しないでいるということだったりする。
単にこんな事態が生じていることを知らないだけの者も多いだろうけど、「差別の話か......触らんとこ」となっていたり、ふだん差別や不正に厳しくあたっている者でも「宗教か......触らんとこ」となっているのであれば、それが「全容が掴めないうちは意思表示は慎重に」というものでないのならば、落胆するほかない。
これが大御所の作品に対する無断改変だったら、いまごろ大騒ぎ&タコ殴りに発展してるに違いないんだから。
それとも「宗教=悪なのだからなにをやってもいい」ってことなのか。それは二重の意味で間違ってる。
①宗教=悪ではない。それは端的に差別である。
②仮になんらかの悪事を働いている存在相手であっても、果たされるべき約束=契約はある(一切の悪事を働かない存在などないのだし)。
きっと、たとえば安倍晋三相手にならなんでもやっていいと思っているのだろう。安倍が取材相手なら発言は改変してはならないし、改変ではなく修正だと言うのならその修正部分は本人の確認を得なくてはならない。
いや、安倍は絶対悪だから、正義のためならどんなふうに扱ってもいいのだ、我らの正義のための素材でしかないのだ、ということなのだろうか。
そういう態度が透けて見えるし、そんなありかたをリベラルだとか反差別だとか考えてるうちは、この社会を変えることなどできないと思う。