李氏と筑摩の件で私がもっとも怒りを覚え、かつ絶望していることは、「監修協力者への確認を怠ったまま刊行した」という出版業の初歩中の初歩みたいな手続きの不備が根本原因となっている事態に対して、出版関係者のほとんどがなにも反応しないでいるということだったりする。

単にこんな事態が生じていることを知らないだけの者も多いだろうけど、「差別の話か......触らんとこ」となっていたり、ふだん差別や不正に厳しくあたっている者でも「宗教か......触らんとこ」となっているのであれば、それが「全容が掴めないうちは意思表示は慎重に」というものでないのならば、落胆するほかない。

これが大御所の作品に対する無断改変だったら、いまごろ大騒ぎ&タコ殴りに発展してるに違いないんだから。

「○○さん(大御所)の言うことは間違いない!」ってなってみんなで無断改変した作家と版元を批判するよね。もちろん不買もしたりするよね。そのやりかたがいいかどうかは場合によるが、そういう動きが見えない(そもそも話題にすらなってない)ことが、私には恐ろしいよ。

ようは
①「芥川賞作家」で「日頃から反差別をポリシーとしている」者だから
②「得体の知れない匿名の集団」で「宗教関係者」だから
が無自覚に組み合わさって「そんなことありえるの?(嘘ついてるとしたら後者だよね)」という判断になってるとしか思えず、なんかもううまく言い表せない感情になってしまう。

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それとも「宗教=悪なのだからなにをやってもいい」ってことなのか。それは二重の意味で間違ってる。

①宗教=悪ではない。それは端的に差別である。
②仮になんらかの悪事を働いている存在相手であっても、果たされるべき約束=契約はある(一切の悪事を働かない存在などないのだし)。

きっと、たとえば安倍晋三相手にならなんでもやっていいと思っているのだろう。安倍が取材相手なら発言は改変してはならないし、改変ではなく修正だと言うのならその修正部分は本人の確認を得なくてはならない。

いや、安倍は絶対悪だから、正義のためならどんなふうに扱ってもいいのだ、我らの正義のための素材でしかないのだ、ということなのだろうか。

そういう態度が透けて見えるし、そんなありかたをリベラルだとか反差別だとか考えてるうちは、この社会を変えることなどできないと思う。

出版業界に関する問題としては「初歩中の初歩的な手続き不備」の問題を批判できないこと(大御所が絡んでたら批判するだろうに)、差別に関する問題としては「宗教差別」に向き合えないこと、この2つの観点からダメージをくらっている。そして後者の差別があるからこそ前者の批判が起こらないという点で、この問題は絡み合っている。凝縮された不正。

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