各種の「(推測による)断定」は個々の権利であって私にはそれを規制することはできないのだけど、特に本屋の場合「あいつと関わっている(から敵だ)」的な判断をされる可能性、あるいは頻度が比較的多くなってしまう。なぜなら本を扱っているから。そして我々はだれひとりとして失敗や加害とは無関係ではいられないから。
(ある特定の界隈で起きた)事情を知らない可能性とか、そういうものは考慮されずに敵認定される場合がどうしても生じてしまう(もちろん自衛のためにその断定をする権利は誰にでもある)。そういう体験を一度でもすると、実際にはそんな断定・断罪をされていなくても、その可能性に怯えることになる。なにか事件が起きたあとに売上が下がったりするとなおさら。
我々のだれもが失敗や加害と無縁でいられない以上、無謬の書き手、無謬の本など存在しない。書かれた当時には常識だった、いまとなっては差別となるものも本にはたくさんあるし、書き手にもそのような「変更不能な過去」はある。それらすべてを精査し、なにか瑕疵が見つかれば排除しろ、しないのであればそれは不正への加担だ、ということを常に要求されるのは端的に言って「無理」だし、そういう要求をされているように感じてしまう精神状態に定期的になってしまうのを私のせいにされても「無理」だし、そのドツボにはまって発信をやめた本屋(あるいはその気配を感じて最初から発信をしないことを選んだ本屋)も確実に存在している。