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「そもそも嘆きとは何か。まず嘆くとは、湧き上がる悲しみを全身で受け止めようと試みることだろう。嘆く者の震えは、みずからの肉体を言葉にならないものの媒体に変えようとする・・・」(柿木伸之 「嘆きからのうた ―― 声と沈黙の閾で ――」) repository.seinan-gu.ac.jp/han

ベンヤミンが言う「伝達する言語」ではない言葉のもっとも起源的な使い方とは、言葉が行き詰まるところで、「沈黙は、一種の真空状態を作りだして、人間の、悲しみと区別のつかぬ「気がかり」を引き寄せずにはいない」(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫2012年、p.350)というような、臨場する他者の「こころ」を誘い出す働きのことなのだろう。

「最近の美学上の論議においてアンチドラマとかアンチヒーローという言い方がされているが、・・・否定弁証法もアンチ体系とよばれてしかるべきだろう。否定弁証法は、統一原理や上位概念の全面的支配の代わりに、こうした統一の呪縛の外にあるかもしれない観念を、整合論理的な手段によって引き出そうと努めるのだ。」(アドルノ『否定弁証法』木田元外訳、作品社1996年)

「そこはおれが日向ぼっこする場所だ。」この言葉のうちにこの地上における簒奪の始まりと縮図がある。(パスカル『パンセ』)
レヴィナスが『存在の彼方へ』の題辞で引くパスカルの言葉は、近現代ではより正確に「働く場所」と言い換えられるべきだろう。日本でもウクライナでも、いや世界中でそうだ。

「これらのファンタジーは、土地のうえで、天を見上げながらする人類文明の営みによるものであった。ひとはだれしも想像をし、よい場合には空想するといわれ、悪い場合には妄想するといわれながら、やがては精緻なファンタジーを無数に想像してきた。」(船木亨『現代思想講義』ちくま新書、p.337)

「宇宙とは何であり、死をどう理解し、性をどう理解するか。ひとびとは徒らに、剥きだしの生の徴表としての死と性に意味を与える美と崇高と愛の物語を作ってきた。最も抽象的な組織である言語の宇宙のなかで、むき出しの生を見て見ぬふりをするようにと、意識を説得する神話と神殿を作ってきた。」(船木亨『現代思想講義』ちくま新書2018年、p.334)

「IMFは戦争中のウクライナに156億ドル融資を行う」そうだ。これが「国際政治学者」が戦争には絶対勝たねばならぬと言う理由だろう。勝ったとしても国内インフラは破壊され尽くされてどこから回収するのだろう。多分、先端技術を持ってる企業を支配下に入れることでだろう。もろショック・ドクトリン‥

何もバブル崩壊後のゴーストタウン化現象に限った話ではなく、近代は必ずスラムを都市周辺に生み出しながら成長してきた。スラム化(格差化)は成長の原動力だと言っていいからだ。札幌だって冬季五輪までスラム街が区域としてあったほどだ。行政はそれをジェントリフィケーションで隠蔽する。
資本主義(に限らないが)は、必ず外部を必要とする。利潤は本質的に外部からしか生まれないからだ。植民地にしても第三世界にしても資本主義が成長(拡大再生産)するための基本的前提条件だ。マルクスの思想の限界はこの辺にもあったのかもしれない。

優生思想がマズいのは何が優生で何が劣生か、最初から決めつけてしまうこと。人間のほとんどの事象はやってみるまで「分からない」からだ。多様性は尊重すべきなのではなく、結果として自然に生まれるもの。それがヒトの生存戦略だった。コロナウイルスの変異進化の破壊力を見れば分かりそうなものだが

年金基金の運用割合は国内債券、 外国債券、 国内株式 、外国株式 それぞれ25%だそうだから、1989年のようにバブルがはじければ目も当てられない。多くの国民は積立金はそれなりに安全に運用されていると思っているようだろうが、そうはいかない。いつ破綻してもおかしくはない。

いずれにせよ多くの人々は、年金積立金が預金と同じように元本保証されると思い込んでるようだ。日本の経済成長が終わり経済が縮小し始めれば、当然国内での運用益は生まれない。遅れて成長し始めた海外債権で運用していくしかない。日本企業だって資本を海外投資し始めたではないか。

マスコミ報道も、批判する側の論点もメチャクチャ。「組織委が人件費単価20万で積算した業務をパソナが総額8万円で応札し、1万5千円で人材募集でして業務を実施」しただけ。問われるのは業務が適正に実施されたか、組織委の人件費積算と予定価格は適正だったかだけだろう。
ウクライナの問題もそうだが、あまりの巨悪(複雑さと解決困難さ)の前に、集団ヒステリー現象を起こしているだけ。このパラノイア被害妄想は近世ヨーロッパの魔女狩り、ユダヤ人ホロコーストと何も変わらない。もう手が着けられない状況になっているのではないか。

高度成長の原動力だった大企業を頂点とした系列・下請重層化構造がいまだに機能している。中小零細こそ低成長下でのパイの減少を転嫁され、吸収してきたのが現実。それなのに生産性の低い中小企業を潰せと叫ぶアホノミストが跋扈する。トヨタの「かんばん方式」とかは下請けへのコスト転嫁そのものだ。

第二次臨時行革審以来、官からから民へ公務員組織の縮小を進めてきた当然の結果が現在。いまの役所は自前で何かをやりたくても、手も足もない。電通、パソナ、コラボ「問題」の背景もそこにある。増えたのは民衆を取り締まる警察官ぐらいかな‥‥

どうすればこの現代の魔女狩りヒステリーは終息するのだろう。ここでもまた、去年亡くなった中井久夫の論が参照できるかもしれない。
「‥目から鱗を落とすように、説得によってこの町の魔女騒ぎを終息せしめたのは、ニューヨーク(ニューアムステルダム)から来た「レンブラントやヴァン・エイクのリアリズムで武装した」オランダ系市民だった。‥‥」(中井久夫『分裂病と人類』UPコレクション2013年新版、p.148)

若い人は本当に何も知らないのだろう。高度成長期だって、工業地帯の山谷、釜ヶ崎の暴動は僕らくらいでも耳にしてるし、1980年代の構造不況下の企業城下町のさびれようはもの悲しいものがあった。それでも日本全体としてはバブル景気突入していった位だから、何もなかったようなイメージなのだろう。

「(進化心理学において)コストが、進化の歴史の中で非対称的であった場合、コストのかからない誤りをする方に判断が偏る傾向が進化する(略)不確実性が大きければ大きいほど、この偏りが大きくなる」(東京大学「なぜ現代人には虫嫌いが多いのか?」)

面白いのがこの偏りの傾向が遺伝する性質のものかどうかということだよね。遺伝するものだとすればその結果論=進化論も成り立ちそうだが、そうでないとすれば文化論的な説明が必要になってくる。フロイトの原父殺しは、家族関係の中で個体発生が系統発生を反復するように行われるということだ。
何の話かと言えば、家族という群単位の中で養育者に対する絶対依存と自立という関係の構造が、ある程度普遍的だろうということだ。それがエディプス・コンプレックス、去勢ということ。その意味でフロイトの心理学は、古代ではなく幼少期に遡る考古学だと言える。

ウクライナに自分の被害者意識を重ね合わせ「絶対的解決」を幻想するのは、先のコラボへの「公金チュウチュウ」攻撃の集団ヒステリー現象とまるで同型。日本の、いや世界の社会経済はそこまで行き詰まっている。

先進国はそもそも中国への資本投資の所得収支の黒字で食ってるんだろ?(水野和夫『次なる100年』2022年東洋経済新報社)戦争したら元も子もなくなるんじゃないのか、知らんけど‥‥

「君たちは,対人的親密さ(interpersonal intimacy)とは性器を触れ合わせることなんかせずに,実に内容があることをいつの日か,永久に理解してほしい。」(H.Sullivan)

「当時のアメリカの精神病院に治療を求めて来た患者の多くが移民であり,精神分析そのものよりも移民を救う精神医学が必要であった。サリヴァンは犯罪者も精神障害者も同じ人間であ るという人類単一種仮説に惹かれ,対人関係論によっ て力動精神医学や精神衛生に貢献したのである。」(中野明德「H.Sサリヴァンの生涯と対人関係論」)

自分の痛み感じるのは前帯状皮質ACCだが、他者の傷みを感じ取れるのは大脳皮質だそうだ。つまり信号が遮断されて大脳皮質の想像力が働かねば他者の傷みを感じないということだ。彼らには信号を遮断させてしまう何らかのトラウマがあるということなのだろう。‥‥なんとなく分かる気がする。
これは、例えば母親が赤ん坊の泣き声という表出を、知覚し大脳皮質で他者の<こころ>の「?」として想像し、帯状皮質感じる自分の<こころ>の「?」の感覚と摺り合わせながら、同じ<こころ>の「?」だと同定していく、共感というプロセスだと言っていいだろう。
言葉を発することの出来ない赤ん坊の<こころ>は、母親が想像して埋めるしかない。他者の<こころ>というものは、基本的に想像として構成されたものなのだろう。認知症が進んできて、言葉によるコミュニケーションに齟齬が出てきた自分の老母を見ていて、本当にそう思う。
【こころ】
「‥オドラデクは、人間とかかわりのない「小さなものの中での幸福」に包まれて、死ぬこともできずにひっそりと生き続けるだけである。その幸福にはもちろん言葉がない。しかしその沈黙は、一種の真空状態を作りだして、人間の、悲しみと区別のつかぬ「気がかり」を引き寄せずにはいない。」(川村二郎『アレゴリーの織物』講談社文芸文庫2012年)

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