「こんな雑誌に寄稿してしまいました、すみません」みたいなやつ、わかるっちゃわかるんだけど、むしろ普段接点がなさそうな人たちに自分の主張を読んでもらえるチャンスでもあるから、もっと大挙して寄稿して乗っ取る勢いでやれば良かったんじゃないのかなぁ〜とか思うなど。
かつて私がアンチフェミにフォローされてもブロックとかしないで放置してたのは、クソリプするためだろうがなんだろうが、読んでいるうちになんか気付きがあればいいんじゃない?って思ってたからなんだよね(私のツイート読んで『東大で上野千鶴子に喧嘩を学ぶ』を買ったヤツいるし笑)。
ただ、クソリパーのハブみたいになってるやつに拡散されると面倒なので、そういうフォロワー多いアカウントだけは先行ブロックしてた。
アンチフェミっぽいやつの「女は経血臭い」っていうやつ、あれは怒っている女性に「生理中?」とか「更年期?」とか言うのと同じ類いのものだと思ってる。
本当に経血の臭いを知っているとか、女性のことを臭いと思っているとかではなく、経血という生理現象を用いれば女を貶めて辱めることができると思ってやってるんだろう、と。過去にそういうお手本が一杯あるからね。呂布カルマとかも「メンス臭い」とか言ってたじゃん?
お菓子のストックがなくなってきたので4000円分くらいポチってしまった。後悔はしない予定。
男性の身体的アドバンテージを持つ人を女子カテゴリに出場させるべきか否かについては、各種目ごとに専門家たちが慎重に検討すべき課題だと思っているけれど、女性として社会化されて女性としてスポーツをしてきたXY女性を「男」と呼ぶことには反対だよ。
ツイッタでも表明しておいた。
ついでに我田引水力を発揮して自分のニュースレターを宣伝しますよ。
https://keroldanvers.theletter.jp/posts/d0c49500-eab6-11eb-bd4b-3b1082c23f7b
"「芸術」とは何か?誰が何を芸術と認めるのか?という問題を美術館の歴史から考えたとき、それは近代国民国家の成立と切り離すことができない。"
https://digital.asahi.com/articles/ASS8230T8S82UPQJ00TM.html?ptoken=01J4GBVWGN25C8WWXAW0SNG1BX
これは良い記事。
プレゼント機能使ってるので明日まで読めます。
https://gendai.media/articles/-/85782?imp=0
テストステロン値については、受容体の反応も重要ってことが書かれてる記事(東京五輪後に出てたもの)。この記事では「高テストステロン女性」(の特に有色人種女性)の競技参加が恣意的に妨げられているのではないか、ということが書かれている。
でも、そう考えると同じ値でも男性身体の方が有利ということになるから、トランス女性の女子スポーツ参加の条件は今のままでいいのか?という疑問も湧く。
いま、渦中の人になっているケリフ選手に対する風当たりの強さには根深いイスラム嫌悪も絡んでいるように見えるし、そもそも「女子スポーツ」でだけこうした混乱が起きるのは、「女子スポーツ」が「男子スポーツ」よりも劣位におかれて後回しにされてきた「女性差別」問題なんだろうとも思う。
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/article/2024/may/08/i-feel-more-connected-with-humanity-the-club-where-phones-are-banned-and-visitors-pay-for-the-privilege?CMP=share_btn_url
イギリス在住の友だちから教えてもらった記事。
アビゲイル・シュライアーの『トランスジェンダーになりたい少女たち』の結論部分の「スマホを取り上げろ」を極端だと思った人も多いと思うけど、まぁ、実際問題として、SNSやネットから離れることがメンタルに良い影響をもたらすことは事実っぽいし、まずは数時間のイベントなんかで少しでもネット空間から離れたりする習慣をつけることが現代人には必要なのかもしれないね。
https://www.bbc.com/japanese/articles/cl7ylnwy7ejo
これ、オリンピック期間だからなのか、イギリスでこんな事件が起きてる割に日本での報道小さいよね…。
Twitter見ていて少し気になったけど、パリ五輪の女子ボクシングの件は基本的にトランスジェンダーの問題とは少し違う。全く違うとは言わないけど。これはIOCという組織の持っているいい加減さと、女子のトップアスリートの中にDSDの人たちが有意に多すぎるところに問題のコアがある、というのが私の認識だ。
こう見えて(どう見えているかは知らないけどw)長年格闘技系に関わり合って(競技者としても関わりがあったので)きたこともあり、女子ボクシングに関しては発足当時から見てきたけど、世間との戦いという部分もありつつ、まずリスクマネジメントの問題があって、本当に長い間の議論があって、そしてその対策も施されてきて、選手、関係者たちの不断の努力の積み重ねがあって競技としてここまできた道のりがある。女子ボクシングと安全性という問題は競技の根幹に関わる話であり、ここは絶対に譲れないところであるにも関わらず、国際ボクシング連盟が参加を認めない決定を二度もしている選手が五輪の場に出てきたのか?この問題はここに収斂される
やっぱ「女性差別」の難しさって、「女性差別が社会構造に深く組み込まれていることで差別していることが意識できなくなる」ってのもあると思うんだよな〜。
分かりやすい就職差別とかセクハラとかそういうものに反対するのは比較的簡単なんだよ。わかりやすいから。でも、「女の(無償・低賃金の)労働によって社会が回るようにできている」ということ、多くの人が「女はケアが得意である(簡単にできる)と無意識に思い込んでしまっている」ということ、「女の言うことはマトモに取り合ってもらえない」ということ、そういうことの積み重ねについては、まあまあ性差別に意識的な男性でも見落としがち。
そして、それを指摘されると「俺のことをマトモな男認定しないなんてどういうことだぁぁぁ!!!」と言わんばかりにバグるパターン、そろそろ見飽きてきたね。
アビゲイル・シュライアー『トランスジェンダーになりたい少女たち』を読んで。
「ヘイト本」だと言われて大炎上していたけど、この内容でなんであんなに批判されたのか???と不思議。
著者は、トランスジェンダーの存在を否定しているわけでもないし、当事者に配慮した表現を心がけてもいるように感じた。そもそも、この本で扱われているのは「SNSや教育・医療関係者の言葉のせいで自分の生きづらさを性別違和だと勘違いしてしまっているかもしれない少女たち」なわけだし、脱トランスした当事者たちが存在していることも事実。
思春期の少女たちの間で"だけ"、トランスジェンダー自認が急増しているという現実を受けて取材した内容で、長年「性同一性障害」の患者を看てきた医師、現在「ジェンダー肯定医療」に携わっている医師の話なども紹介されているので、一読の価値はあると思う。
シュライアーの結論には、母性信仰っぽさが強く感じられるから、そこには賛同できないけれど、この本は"ジャーナリストによるルポ"の性格が強いので、「結論」に賛同できなくても、それ以外の部分から学べることはあるし、「結論」を理由に本そのものを全否定する態度はSNSの悪影響という感じがする。
名前はカインと読んでください。ヘビメタ好きのカエルの妖精。ドイツ語を偏愛する軽めの語学好き。映画(主にMCU)も好き。海外ドラマもちょっと。
個人ニュースレターとかnoteとか雑文を書くのが趣味です。