これはわかります。
ワタクシもなんちゃって大阪のおばちゃんとして生活しておりますが、節分の豆撒きの人混みで痴漢にあった時に
「いまケツ触ったん誰や?!お前か!」
と大声をあげて相手の胸ぐらを掴むという立派な大阪マダムの行動ができるようになっており、我ながら偉いと思いました。
声を上げやすいのは関西弁ならではかと思います。関西弁ありがとう。
https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202311/0016984465.shtml
渋谷陽一入院からのDJ交代、そして番組終了。
ワールドロックナウ、ずっと真面目に聴いていたわけでもないのでそこまで強い思い入れはないのだけど、日本の洋楽ロックシーンは終幕なのだなという喪失感。
渋谷陽一が元気になったらまた何か番組やってくれるんだろうか。
UK・USバンドの来日公演も少なくなり、フジロックも邦楽バンドばっかり。
私の20代30代は恵まれていたな。ぴあを買って気になるライブには足を運び、飲んで踊って歌って…を繰り返す金銭的・体力的余裕もあった。(時間の余裕はないくらいめっちゃ詰め込んでた)
これからは自分から取りに行かないと海外の魅力的なバンド情報が入ってこないんだなぁ。
しんどい時代になってしまった。
日曜夜は息子の観たいテレビ番組が多くて、大河は平日の昼休みに録画で観ている。
(そもそも戦国ものは怖くて観たくないと言われたり…いだてんは一緒に観てくれてたのになぁ)
「光る君へ」を観ていると、当時の貴族は日記を書くものだという描写が繰り返し出てきて面白い。皆書いてるもんね。
そういえば、と自分の日記も掘り返してみた。上野へ【宮廷のみやび 近衛家1000年の名宝】という展覧会を観に行っており、そこに藤原道長が記した「御堂関白記」の一部が展示されていたので。
2008年当時の私は平安時代の日記帳にもマス目がひいてあることに感心していた(笑)
あんまり日本史には明るくないので、それより唐から伝来した楽譜を見てすげえすげえと興奮している。
だってさ、則天武后の書いた五弦琵琶の楽譜とか、もう中国に残ってるかどうか怪しいんだよ。(こういったものは文革で大体燃やされた)
天皇のしたためた書の表装は中国の官服からとられた裂であるとか(超美麗)、平安時代に唐・宋から煌びやかなものが伝わって、本国で失われていても日本で状態良く保存されていたというのがロマンなのだ。藤原=近衛家の財力の凄まじさでもある。
文化の維持にはお金がかかる。昨今心根の貧しくなった日本が文化を守っていけるのか、気になるニュースも多いよね…。
今日は2年生がやる気になってくれたので、三食作ってもらう息子シェフの日です。
クックルンのレシピ本やタブレットで検索したクックパッドを駆使して、お母さん全力バックアップのもと機嫌よくお料理してくれています。
朝はココットでフレンチトースト。
昼は明太子パスタ。
どちらも超上出来!お世辞抜きで美味しくできました。段取りを教えてあげて、熱くて危ない場面だけやってあげたら私は写真撮るだけ。
夜はひな祭りを意識して、押し寿司と蛤のお吸い物を予定しています。
それまで色々仕込みをしないとだけど、アドバイザーお母さん、ついワイン飲んでしまった。
ストーリーの力について考えてる。
僕はクラシック音楽をもっと楽しみたいのだが、ポップミュージックほどには好きになれていない。それは僕にとってポップミュージックの方が「ストーリー」を感じやすいからではないか、と。歌手の個性や、声、歌詞などなど。
オーケストラによる曲でも、たとえばスターウォーズやドラクエの曲とかはとても楽しめる。それは、その曲にまつわるストーリーをよく知っているから。
あと、Apple Music Classicalで色々な切り口でクラシックを探して聞けるようになったおかげで、確実にクラシックの楽しさが増した。それは、それぞれの切り口からストーリーを読みとれるからなんだろうな、と。
このようなストーリーの力は、音楽に限らないだろう。
長文 大路通天
朝ドラついでにBSPの「大路通天! ~中国横断・ヒッチハイクの旅 チベット編~」再放送を観ているのだけれど、これがとても良い。
出演者の中国人ディレクター李忱さんの日本語が美しく(学校で真面目に日本語を学んだ外国人の方が正しい日本語を話すよね)聞いていて穏やかな気持ちになる。
旅で知り合うチベット族の人々へ敬意を払う彼の誠実さが番組を落ち着いたものにしていて、漢族にもこういう人がいることにホッとした。
ヒッチハイクで車に乗せてくれるのは出稼ぎに来ている漢族であることが多く、車中の会話でチベット族の立ち位置や政府の政策の実態を垣間見ることができる。
彼等が何も感じていない訳ではないかもしれないが、金のためにチベット族の土地を開発したり、補助金目当てに国境付近に住まいを移すというのは薄寒い。
政府から貧しいと決めつけられているチベット族のお祭りに豊かな人間性を見てとり羨ましいとこぼし、かつては漢族にもあったはずの文化であるのにと「論語」を引用する見識の高さも李忱さんの魅力。
私も仕事でモンゴル族の人たちとお話しする機会がそれなりにあったけど、少数民族と漢民族の間にある溝っていうのは日本人には計り知れなくて、こういう旅の中でしか知り得ないことも多いよなぁとしみじみ観ている。
おお、北海道SFの公募テーマは「固有種」「〇〇の南限/北限」ですって!
一応北海道在住経験ありだけれど、舞台の場所には行ったことがないのでちょっと難しそう…
というかこれ、生物SFにしたら両方のテーマ一気に使えるのでは?
ともあれ楽しみ!
https://virtualgorillaplus.com/nobel/kaguya-books-hokkaido-tokyoshitamachi-public-offering/
梅吉さんと小夜ちゃんがなぁなぁになってダメな状態なのにスズ子がブチ切れるのは当然だし怒っていいんだけど、花湯だったら彼らはゆるっと包摂されて、できない人なりの働きで認められていたんだろうなと少し切ない。
ちょっとしか役に立たない人でもOKなのは、梅吉だけじゃなく六郎や占いのおっちゃん、アホのおっちゃんで何重にも描かれている。
大阪は義理と人情、対する東京は…みたいな陳腐な図式に落とし込むのは危険で、戦時下の心の余裕のなさと解釈すべきなのはわかっている。
でもさ、田舎から出てきた者にとって東京は「何者かである人、これから何者かになる人」の街っていう感傷的なイメージはあるんだ(もちろんそんなの屁でもない人も多いけど)。
特にスズ子みたいな仕事の人は常に「自分とは何か」を問われてているから、そうじゃない人との差がはっきり出てきてしまう。
風呂屋というのは人が裸(そのままの自分)でいられる場所なので、ちびスズ子もそのままの自分で歌っていられた。梅丸の看板を背負っている今は責任も大きくて辛いねぇ。
淡谷先生はそれをも乗り越えているから女王なのだわね。豪胆。
#ブギウギ
今朝から花粉症が猛威をふるっており、くしゃみ鼻水とめどなく。
上向いて寝ると鼻水が喉に落ちてきて喉が死ぬし、うつ伏せで寝ると枕が濡れる。鼻炎薬も飲んだのに全然効いてないです助けて。
ドラマから、知らなかった佳き音楽を知ることができるのはとても嬉しい。
朝ドラとか合唱なんかを嗜む。
疲れちゃうから長いドラマ観れないし、Twitterはイチャモンつけるためだけに観てる人が増えたからやってらんなくて逃げてきた。