たしかに、どこでどう投稿したら誰の目に入るかとか、野球ドン・映画ドンで言われてた外部からの投稿も可能というコトバの意味とか、その辺全然掴めてない。

あと、ここで投稿したつもりがそうでないところになっててやり直しみたいなこともよくある。

ハッシュタグの話もそうだけど、暗黙のマナーとか、そこでありうる立場の幅とか、個々にローカルルールがあったり、そこにいる人の期待値があったりもするので、そういうのはかなりムズカシイ。

ノンポリでいるかどうかとか、政治的な色がどの範囲で目に入るかとか、そういう要素がさらに入る場合に、個々の人がどう計算するのが期待されてるのかを、見通せる人は見通せるのかも知れないけど。

フォローしてる人、見えないけど講読してる人、何らかのTLで見てる人のどの辺りに焦点を当てるかを、そもそも意識できるかどうかで、ツイッター感覚を無意識にもち続けてる場合だと、「未収載」(公開TLに非表示)を基本にしておく方がいいんだろうか。

その話はもう前にしたなというので、過去の投稿をブーストして、時間的に過去から引き上げているのは何回か目にしたけど、サーバが横に連携していると言われている(でも新参には何がどうつながっているか見えていない)ところで、そして、検索性(これも実感がつかめないものではある)が落ちるとされているところで、横に広げるブーストみたいなのはあんまり考えないものなんだろうか。

自分のなかでサーバ毎に話題を変え、言語も変えて、いろいろな自分を緩やかに括れるのはもはや自分だけというやり方が一方にあったら、1つのサーバに1つのアカウントでずっといて、そこで幅のある投稿をそれだけの幅をもっった存在が自分だというかたちでやっていくというやり方がその反対側にある感じかな。
やっぱり、連合とかローカルとか、それがまったくない方がスッキリする人は、ローカルのないサーバにいて、連合を見ないで、未収載で投稿していくというのが、1つのスタンスかな・・。

抽象的な精神論寄りの話と、それだったらここのところをこういうふうにしてこう使えばいいのよというプラグマティックな話と、そこを噛み合わせるのが新参にとってはぼちぼちやるしかない部分なのかも。

サーバごとにテーマがあるというのと、連合してて種種雑多な投稿が混じるというのと、そのどちらも設計上ありうる場合、それを同列の地平に並べたら、そこにすでに矛盾の芽が内包されている気もするので、そこにどういう論理階梯を入れて整序していくのか、そこに解釈の立場が生まれそう。

ツイッターは一人一人見ているタイムラインが違うという前提があり、そのなかで自由に個別に応答するということで成り立っているとすると、マストドンはどうも違うところがあり、とくにサーバ毎にテーマがあるようなローカルタイムラインとかだと、ある程度同じタイムラインを見ていて、そこで応答というかたちではなく人に聞こえてるかも知れないという前提で独り言を言うということで成り立っている気がする。
とくに、ホームがないとか、フォローができないとか、野球ドンのようなものに、これはどういう原理なんだろうと戸惑いを感じるのはそういうところかな。

ツイッターから来てツイッターのときのような振る舞いをしている人もいれば、ツイッターで見たのとは違う感じかなという人もいて、好きに独り言をつぶやくか、ここにそっと発言を残しておきますという感じで投稿するか、そういう違いというか、幅があることをうすうす感じ始めてる。
ツイッターで長年つぶやきを読ませてもらって同時にこちらに来た人が何人かおられて、基本ツイッターだけどでもちょっと振る舞いが違うかなという感じに見受けられたりして、それを面白いことだと言えばいいのか、これはどういうことだろうと戸惑えばいいのか、まだちょっと分からない。
2週間前に初めてマストドンというものに触れて、見た感じはツイッターだなと思ったのとは違うなあというのは、だんだん心のなかで増してはきているけど、上手に端的に、とくにまだツイッターにいる人にこんな感じだったよとその違いを伝えるところまでは行ってない。

ツイッターには乱暴に殴りかかってくる者がいて、ここにはいない、というふうなことを書かれている人は何人かホームのタイムラインにもおられるけど、自分はもともとツイッターでは鍵付きだったので、そういうのとは違う、同じ人でも微妙に変化した向き合い方の構えになりそうなところが気にかかっている。

自分はどうかと言ったら、基本は自分に向けて、そのときの連想の去来を残す感じで書いてて、でもフォローの関係にあってたまたまその時間にその人自身のタイムラインを見てるという人の目に触れることもるかなぐらい・・だとすると、ツイッターでつくられた自分のなかの「構え」が、そうすぐには外れないという感じかな。
でもここでは500字まで書けるので、こういうふうに書いてると却って増幅されて、そこから転倒して差異が生じることもありうるのかも知れないけど。

ツイッターには、ローカルとか連合とかがなくて、 

ここでいうホームとリストで見るのが基本だとすると、自分の感覚では、ツイッターの方が自分の見たい世界だけを見れる仕組みになりそうな気がするけど。
まあ、大きな声で発信をしたいというので多くのフォローを抱える人だと、その分多くのリプライを見たりして、それが決定的に違うのかも知れない。

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ツイッターは企業がやっていて人が増えるほど喜び、 

マストドンは分散してサーバを立ててて人が増えるほどしんどい、ということがあり、そもそも人口比が全然違うので、システムの特性なのか、単に人が少ないからまだのどかなのか、そこはまだ分からない部分かも。

一企業だからルールを定めやすく、そして今それが崩れやすくもあるということだけど、 

分散しているサーバで、必ずしも統一的でないルールがあったり、通報に対応したり行き過ぎを関したりするという活動が保証の限りではないとしたら、今後にかけてもマストドンの方が平和というのは、そう一概にも言えないのかなと。

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