ツイッターから来てツイッターのときのような振る舞いをしている人もいれば、ツイッターで見たのとは違う感じかなという人もいて、好きに独り言をつぶやくか、ここにそっと発言を残しておきますという感じで投稿するか、そういう違いというか、幅があることをうすうす感じ始めてる。
ツイッターで長年つぶやきを読ませてもらって同時にこちらに来た人が何人かおられて、基本ツイッターだけどでもちょっと振る舞いが違うかなという感じに見受けられたりして、それを面白いことだと言えばいいのか、これはどういうことだろうと戸惑えばいいのか、まだちょっと分からない。
2週間前に初めてマストドンというものに触れて、見た感じはツイッターだなと思ったのとは違うなあというのは、だんだん心のなかで増してはきているけど、上手に端的に、とくにまだツイッターにいる人にこんな感じだったよとその違いを伝えるところまでは行ってない。
自分はどうかと言ったら、基本は自分に向けて、そのときの連想の去来を残す感じで書いてて、でもフォローの関係にあってたまたまその時間にその人自身のタイムラインを見てるという人の目に触れることもるかなぐらい・・だとすると、ツイッターでつくられた自分のなかの「構え」が、そうすぐには外れないという感じかな。
でもここでは500字まで書けるので、こういうふうに書いてると却って増幅されて、そこから転倒して差異が生じることもありうるのかも知れないけど。