自分のなかでサーバ毎に話題を変え、言語も変えて、いろいろな自分を緩やかに括れるのはもはや自分だけというやり方が一方にあったら、1つのサーバに1つのアカウントでずっといて、そこで幅のある投稿をそれだけの幅をもっった存在が自分だというかたちでやっていくというやり方がその反対側にある感じかな。
やっぱり、連合とかローカルとか、それがまったくない方がスッキリする人は、ローカルのないサーバにいて、連合を見ないで、未収載で投稿していくというのが、1つのスタンスかな・・。
ツイッターから来てツイッターのときのような振る舞いをしている人もいれば、ツイッターで見たのとは違う感じかなという人もいて、好きに独り言をつぶやくか、ここにそっと発言を残しておきますという感じで投稿するか、そういう違いというか、幅があることをうすうす感じ始めてる。
ツイッターで長年つぶやきを読ませてもらって同時にこちらに来た人が何人かおられて、基本ツイッターだけどでもちょっと振る舞いが違うかなという感じに見受けられたりして、それを面白いことだと言えばいいのか、これはどういうことだろうと戸惑えばいいのか、まだちょっと分からない。
2週間前に初めてマストドンというものに触れて、見た感じはツイッターだなと思ったのとは違うなあというのは、だんだん心のなかで増してはきているけど、上手に端的に、とくにまだツイッターにいる人にこんな感じだったよとその違いを伝えるところまでは行ってない。
抽象的な精神論寄りの話と、それだったらここのところをこういうふうにしてこう使えばいいのよというプラグマティックな話と、そこを噛み合わせるのが新参にとってはぼちぼちやるしかない部分なのかも。