サンリオSF文庫・サンリオ文庫がけっこう読めると話題の国会図書館デジタルコレクション、ためしに「ゴシック叢書 国書刊行会」で検索したらこれもけっこう読めるのに気付いた。わたしこないだ近所の図書館から『城と眩暈』を借り、読み切れずに返したとこだった:
メモ、魂に刻んだが、魂は忘れるのでここにも刻む:
ラジオでハッチポッチステーション
5月3日(金・祝)午前10時05分~11時50分 <ラジオ第1>
ブログを書いた。第一部「昔の人たち」の4篇め、「昔あった話」(柴田元幸訳)。今回はちょっと引用しただけで、今後もこれくらいでいいんじゃないかと思った。ここまで154/859ページ進み、次から第二部になる。
(65)『ポータブル・フォークナー』を読んでいる[5]:
https://outofthekitchen.blog.fc2.com/blog-entry-884.html
@uncycloNana_shi それはおそらく、わたしが本文を途中から隠す書き方をしたからだと思います。
たまに通る路地に単身者用っぽいアパートが背中を向けて建っていて、窓が通行人に丸見えだから大半の部屋はそこに洗濯物は干してないんだけど、1階の1室だけ、Tシャツやジャージなど男物の衣類を堂々と干していた。
わたしがそこを行き来するようになってからの丸5年以上、雨の日も風の日もつねに何かしら出してあり、台風でびしょ濡れのまま放置していたのも1回や2回ではなかった。量にしても種類にしても女の人が防犯で用意しているものとは思えず、いつも「すごいおおざっぱな男子学生」を想像して通りすぎていた。
この4月、その部屋の窓から洗濯物が物干竿ごとなくなり、カーテンも取り払われていた。人はこっちに断りなく次のステップに進むからおどろく、と神妙な気持になった自分の勝手さにおどろく。
ブログを書いた。 第一部「昔の人たち」の3篇め、「赤い葉たち」(柴田元幸訳)。これはすごい。すごいんだけど、すごいと感想がくどくなるのは考えもの。別のやり方はないだろうか。ここまでの進捗は129/859ページ。
(64)『ポータブル・フォークナー』を読んでいる[4]:
https://outofthekitchen.blog.fc2.com/blog-entry-883.html
ブログが書けなかったけれどわたしは元気です
集英社文庫『カフカ ポケットマスターピース01』の「作品解題」にある数行のおかげで、それまで読めなかった「巣穴」が読めるようになった話。
https://twitter.com/do_dling/status/1400456738571096092
《このテクストの語りは、現在時制の用い方に特徴があるとされる。たとえば、「ときおり巣穴の外に出ることにしている」のように習慣的な意味で用いられていたはずの現在形が、いつのまにかリアルタイムのできごとを報告する現在形に移行しているのである。そのため読者は、自分がどこにいるか分からない方向喪失の感覚を味わう。》p.768
こう指摘されてから実物を見て「ここで移ってる」「ここもそうなってる」と気づくと、急に読めるようになったんでした。
それまではいともたやすく作品の放つ魔法に引っかかっていたということ。
正体を明かされたために魔法がはんぶん解けたのはよかったのか、それはいまも気になってます。
趣味は引用