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整形外科でもらった。なぜこの2人なのか、わたしの知らない文脈があるんだろうか。

読売新聞を買ってコボちゃんを読む日だった。去年もそうしたし来年もそうする。

これは12年前のと10年前のやつ。

一箱古本市みたいなイベントを覗いたら、なかにひとつ、猛烈に好みの合う本の詰まった箱があった。出店者は不在だったのでどんな方かわからないが、しばらく話す機会があれば握手するか反目するか両極の感情のどちらかをお互いに抱くだろうなと思われたことだった。

ETV特集「個人的な大江健三郎」が再放送されるとのこと(3/16の23時~):

twitter.com/nhk_Etoku/status/1

この公式ツイッターの告知に名前が入っていない、栃木県の美容師の人が語る『洪水はわが魂に及び』の読みがいちばんすばらしかったのを何度も言う。
ご本人のブログまで探して見にいってしまった(番組スタッフもブログを見て出演を依頼したとのこと)。

あと、こうの史代が大江を描いた紙芝居が映る番組でもあった。

もう3月も1週めが終わるので、hontoには通販ストアのサービス終了に伴い「ほしい本」リストがどうなるのか、そろそろアナウンスをお願いしたいところ。

手動でどこかに移すしかしかないのか。

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カフカの日記 新版! ずっと待ってたよ。

hanmoto.com/bd/isbn/9784622096

新潮社全集版を図書館で借りても「ちがう、借りて読むものじゃない…」と返してしまうのだった。

妙なこだわりのある記憶となると「夏」ばっかりになるのはわたしの特性なんだろうか。

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ブログを書いた。高校のときの英語教科書の話。こういう記憶だけで生きている、と言うときの「こういう記憶」ってどんな記憶?と立ち止まる出来事が最近あった。

(59)ウェンディもそうする:
outofthekitchen.blog.fc2.com/b

「トロピカル・ミステリー」、いくつか動画をのぞきましたが、途中で不安になって最後まで聞けません。これは眠れない。

もはやスーパーでは鍋のつゆが「寄せ鍋のつゆ」と「ごま豆乳鍋のつゆ」の2種類しか置いておらず、この前は寄せ鍋だったから今日はごま豆乳鍋のほうをカゴに入れたのに、家に帰ると寄せ鍋のつゆになっていた。不思議なことがあるものだ。

安田成美が再挑戦を希望した「風の谷のナウシカ」に協力を求められた原田郁子&角銅真実の音源が聞ける。

Daisy Holiday! | interfm | 2024/03/03/日 25:00-25:30 radiko.jp/share/?sid=INT&t=202

図書館で予約していたあれやこれやの本、ものによって蔵書数も予約待ちの順番もまちまちだったのに、まちまちだったからこそ変にタイミングがかち合って一斉に「準備できました」メールが届いた。読めるのかしら。

「夜明けのすべて」を観た。 

・なによりも中盤の自転車をこいでいるシーンで静かにすごいことが起きている感がビンビンにしたんだけど(思った以上に長く続くのも含めて)、あれはなんだったんだろう。
・この主役2人はぜったいに恋愛関係にはなりません・これはそういう映画ではないです、というのをすでにじゅうぶん示したあとで、それでも念には念を入れて当人たちの言葉でも直接説明しておこう的な会話が最短・最速でなされるので笑った。「男女の友情が~」「ア、うん」みたいなやつ。
・いつのまにか変わっている、という過程をとらえようとしている作品は映画でも小説でも讃えていきたい。
・長期にわたってビデオを撮りにきていた中学生2人組(最高の2人組)も、取材を通して主役2人の変化をずっと見ている、でもそのことについてわざわざ言葉で触れたりしない、という節度がよかった。「社員もこの2人組もわかっているということが、あなた(観客)にもわかっていますよね」と信頼してもらえているような。
・エンドロールでキャッチボールをしている最後の最後で、はじめて取り損ねたボールが客席のほうに転がってくるのって奇跡すぎないか? そんな瞬間が撮れたから、そこが最後の最後になるよう編集したんだろうけど、それにしたってさ。

梅干しの味を感じるようになった。そして猫のオシッコは猫のオシッコの輪郭を取り戻してきた。

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記録によると近所をウロウロしていたのを家に入れてから今日で丸5年になる。
(2枚めはまだ外にいた時期で表情が険しい)

ブログを書いた。コリン・ディッキー『ゴーストランド 幽霊のいるアメリカ史』(熊井ひろ美訳、国書刊行会)の第一章が「七破風の屋敷」を含めセーラムの町を扱っていて考えさせられる、という話。

(58)階段とその先:
outofthekitchen.blog.fc2.com/b

だいたい健康状態に戻った今日あたりから微妙に鼻がおかしいような 

嗅覚がぱったりオフになるならわかりやすいけどそうではなく、感じにくくなったにおいがいくつかある、みたいな。
・牛乳、紅茶、緑茶のにおいは感じるのにコーヒーのは弱い。コーヒーだけ味も一部しか舌に届かない感じ。
・食パンに塗るジャムはふつう、バターは味は感じるわりににおいが弱い? ピーナッツクリームは味もにおいもなんか遠い。

このへんは「気のせい」との線引きがむずかしいが、梅干しの味はゼロになっているのでなにか変調はある模様。

なにより、気付いたきっかけが「猫がトイレ外にしたオシッコを拭くという日課の際に、においをぜんぜん感じなくてハッとした」だったので、あの特徴あるオシッコ臭のよみがえりがわたしの全快を告げると思われる。
待ち遠しいけどオシッコはトイレでしてほしい。こんなジレンマもある。

小林秀雄「『悪霊』について」を読もうとした: 

装丁がかっこよくて思わず買った古本(『小林秀雄全作品9』)に入っていたのを読もうとしたが、ほんと、なにが書いてあるのかぜんぜんわからなかった。
ルールの不明な競技を観戦してる感じで、意地になってページをめくっても意味の取れる文章が一文も出てこず、そのうち具合まで悪くなった。
やっと作品からの引用が始まり、ここなら読める、と思ったら急に終わる。未完だった。
(因果が逆で、もとから具合が悪かったせいかもしれない。体調のいいときに再挑戦すべきか)

shinchosha.co.jp/book/643549/

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(続き) 

・どうしてああもたくさん雨が降ってるんだろう。夜の土砂降り。
・語り手が「記録者」を自称しながらけっこう行動して絡む。そのくせ、ぜったいその場にいなかったシーンも平気でとくとくと語るあのやり方は、やっぱり19世紀のロストテクノロジーだろうか。取り戻してもいいと思う。
★ 決定的な出来事(公園)が起きるスピード。
・↓のような、ここだけ取り出したらなにも成り立っていないこんな会話が作中では成り立っているの、おかしくない? まあ、作中でも成り立ってないのかもしれないが…

《「ニコライ・フセヴォロドヴィチ、この人の話はほんとうですの?」リーザはやっとこれだけ言うことができた。
「いや、嘘だ」
「何が嘘なんだ!」ピョートルはぎくりとした。「それはまたどういうことだ!」
「ああ、わたし、気が狂いそう!」リーザが叫んだ。
「まあ、すくなくともわかってくださいな、この人はいま気も狂わんばかりなんですよ!」ピョートルは懸命に叫んだ。》第三部 第三章 2

・せっかく読んだし、次に読み返すのが何年後になるかわからないから、この機に関連本も読もうかしら。

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