ETV特集「個人的な大江健三郎」が再放送されるとのこと(3/16の23時~):
https://twitter.com/nhk_Etoku/status/1766479051865120826
この公式ツイッターの告知に名前が入っていない、栃木県の美容師の人が語る『洪水はわが魂に及び』の読みがいちばんすばらしかったのを何度も言う。
ご本人のブログまで探して見にいってしまった(番組スタッフもブログを見て出演を依頼したとのこと)。
あと、こうの史代が大江を描いた紙芝居が映る番組でもあった。
カフカの日記 新版! ずっと待ってたよ。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784622096931
新潮社全集版を図書館で借りても「ちがう、借りて読むものじゃない…」と返してしまうのだった。
ブログを書いた。高校のときの英語教科書の話。こういう記憶だけで生きている、と言うときの「こういう記憶」ってどんな記憶?と立ち止まる出来事が最近あった。
(59)ウェンディもそうする:
https://outofthekitchen.blog.fc2.com/blog-entry-878.html
@uncycloNana_shi 「トロピカル・ミステリー」、いくつか動画をのぞきましたが、途中で不安になって最後まで聞けません。これは眠れない。
安田成美が再挑戦を希望した「風の谷のナウシカ」に協力を求められた原田郁子&角銅真実の音源が聞ける。
Daisy Holiday! | interfm | 2024/03/03/日 25:00-25:30 https://radiko.jp/share/?sid=INT&t=20240304010000
「夜明けのすべて」を観た。
・なによりも中盤の自転車をこいでいるシーンで静かにすごいことが起きている感がビンビンにしたんだけど(思った以上に長く続くのも含めて)、あれはなんだったんだろう。
・この主役2人はぜったいに恋愛関係にはなりません・これはそういう映画ではないです、というのをすでにじゅうぶん示したあとで、それでも念には念を入れて当人たちの言葉でも直接説明しておこう的な会話が最短・最速でなされるので笑った。「男女の友情が~」「ア、うん」みたいなやつ。
・いつのまにか変わっている、という過程をとらえようとしている作品は映画でも小説でも讃えていきたい。
・長期にわたってビデオを撮りにきていた中学生2人組(最高の2人組)も、取材を通して主役2人の変化をずっと見ている、でもそのことについてわざわざ言葉で触れたりしない、という節度がよかった。「社員もこの2人組もわかっているということが、あなた(観客)にもわかっていますよね」と信頼してもらえているような。
・エンドロールでキャッチボールをしている最後の最後で、はじめて取り損ねたボールが客席のほうに転がってくるのって奇跡すぎないか? そんな瞬間が撮れたから、そこが最後の最後になるよう編集したんだろうけど、それにしたってさ。
ブログを書いた。コリン・ディッキー『ゴーストランド 幽霊のいるアメリカ史』(熊井ひろ美訳、国書刊行会)の第一章が「七破風の屋敷」を含めセーラムの町を扱っていて考えさせられる、という話。
(58)階段とその先:
https://outofthekitchen.blog.fc2.com/blog-entry-877.html
だいたい健康状態に戻った今日あたりから微妙に鼻がおかしいような
嗅覚がぱったりオフになるならわかりやすいけどそうではなく、感じにくくなったにおいがいくつかある、みたいな。
・牛乳、紅茶、緑茶のにおいは感じるのにコーヒーのは弱い。コーヒーだけ味も一部しか舌に届かない感じ。
・食パンに塗るジャムはふつう、バターは味は感じるわりににおいが弱い? ピーナッツクリームは味もにおいもなんか遠い。
このへんは「気のせい」との線引きがむずかしいが、梅干しの味はゼロになっているのでなにか変調はある模様。
なにより、気付いたきっかけが「猫がトイレ外にしたオシッコを拭くという日課の際に、においをぜんぜん感じなくてハッとした」だったので、あの特徴あるオシッコ臭のよみがえりがわたしの全快を告げると思われる。
待ち遠しいけどオシッコはトイレでしてほしい。こんなジレンマもある。
小林秀雄「『悪霊』について」を読もうとした:
装丁がかっこよくて思わず買った古本(『小林秀雄全作品9』)に入っていたのを読もうとしたが、ほんと、なにが書いてあるのかぜんぜんわからなかった。
ルールの不明な競技を観戦してる感じで、意地になってページをめくっても意味の取れる文章が一文も出てこず、そのうち具合まで悪くなった。
やっと作品からの引用が始まり、ここなら読める、と思ったら急に終わる。未完だった。
(因果が逆で、もとから具合が悪かったせいかもしれない。体調のいいときに再挑戦すべきか)
(続き)
・どうしてああもたくさん雨が降ってるんだろう。夜の土砂降り。
・語り手が「記録者」を自称しながらけっこう行動して絡む。そのくせ、ぜったいその場にいなかったシーンも平気でとくとくと語るあのやり方は、やっぱり19世紀のロストテクノロジーだろうか。取り戻してもいいと思う。
★ 決定的な出来事(公園)が起きるスピード。
・↓のような、ここだけ取り出したらなにも成り立っていないこんな会話が作中では成り立っているの、おかしくない? まあ、作中でも成り立ってないのかもしれないが…
《「ニコライ・フセヴォロドヴィチ、この人の話はほんとうですの?」リーザはやっとこれだけ言うことができた。
「いや、嘘だ」
「何が嘘なんだ!」ピョートルはぎくりとした。「それはまたどういうことだ!」
「ああ、わたし、気が狂いそう!」リーザが叫んだ。
「まあ、すくなくともわかってくださいな、この人はいま気も狂わんばかりなんですよ!」ピョートルは懸命に叫んだ。》第三部 第三章 2
・せっかく読んだし、次に読み返すのが何年後になるかわからないから、この機に関連本も読もうかしら。
趣味は引用