ペケにいたとき、日本自動車産業の斜陽の気配について少しでも語ろうものなら、どこから湧いてきたんやというくらいの大量のトヨタ大好キッズに粘着されたことが再々あるな。
🏺工作員がまだ元気だったころにアレ批判したときに大量に現れたアレ信者級のksrpの嵐だったもん。なんなんだろうなあの連中

無邪気に「永遠に最強のトヨタ」を信じているのか、もはや世界市場でマトモに相手してもらえるのが自動車だけという現状でその最後の砦を心の中で守りたいと考えているのか、その内面は想像するしかないが、なんていうかあのファナティックさはちょっと他にはない感じがあったね。アレ信者以来の話の通じなさだった


これかなり有り得そうな話ですね。世界で通用する数少ない分野が自動車(特にトヨタ)だからトヨタを批判するものは「反日」と映る。彼らにしてみればトヨタが消極的なEV推進なんて許し難い暴挙なのでしょう。実際、「EV推進は日本車潰しのための中国or欧州の陰謀」というのは反EV派の間では"定説"ですからね。

近年のEV叩きって、一言で2000年代後半から続く温暖化懐疑論や風力など再エネ反対運動の延長線上にあるものですね。

最新の気候科学や社会の構造転換を頭ごなしに否定し、有望な外資を排除するところが共通しています。

それがまた野党勢の政治家や候補の演説や発言にもあるので、社会の変化を拒む感情は次の選挙でも広がり、足かせとなるでしょう。

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同意です。
それに付け加えると自分がとくに野党側で問題だと考えているのは温暖化懐疑論が攻撃している気候正義。そちらの文脈で植民地支配がまた主要な問題になっていると理解してないことです。

EVでも再エネ同様に希少資源の採掘をめぐって「緑の植民地主義」問題があるのは事実ですが、それをただ批判するためだけに上辺の「反グローバリズム」で上下左右見境なく共闘し始めると、結果として温暖化懐疑論者らを利することになり、EV移行も進まなくなります。

「反グローバリズム」は今や過去の選挙で支持政党に失望した左派やリベラルを取り込むための極右のマーケティング用語ですし、ビル・ゲイツがナントカカントカといった話から「グレートリセット」まで、日本でも「陰謀文化」が広がっています。

例えば、れいわ新選組がどっち側なのかは知りませんが、そういうところが危ういし、議員や候補によっては共産や社民、旧民主も似たりよったりです。


過去の不平等な収奪による資本の蓄積とそれに伴う権力の不均衡・これからの資源の公平かつ効率的な分配が問題であり、そこに到達しないよう誤誘導するために「反グローバリズム」が用いられていますよね。

なので温暖化対策・気候変動対策を実行するにあたり「反グローバリズム」の問題を認識したうえで「緑の植民地主義」に陥らないことはやはり重要だと考えています。
収奪を正当化する「緑の植民地主義」が蔓延すれば温暖化対策・気候変動対策のための大義名分である気候正義にも傷が付きますし、それによりグローバルの共闘でしか解決できない問題が解決できなくなりますから。

20数年前の反WTO闘争など、その象徴でもあったのですが徐々にリベラル政党が闘わなくなってきた一方で、ネットやSNSの発達で今では「グローバル」の意味合いが当時と比べて大きく変わったことも理由に挙げられるかもしれません。

ですが、理念はそのまま受け継がれているので、おっしゃるとおり「緑の植民地主義」に陥らないように、同時に極右勢力に利用されないように、またナオミ・クラインの引用になりますが、争点や論点を取り戻して「たくましい左翼」運動をつくっていかなければならないと思います。

その意味では、先に挙げたれいわ新選組は「反グローバリズム」と言いながら「つなぎの天然ガス」を掲げて国内各地の風力など再エネ事業計画に反対してきた経緯や、助言役には「反ワクチン」でも悪名高い極右の経済評論家らを据えているので、非常にたちが悪く、いわば「反面教師」です。

タブーや罵り合いではなく、そういった議論が支持者のあいだでも出来てメディアも取り上げるなら、解決に繋がるかもしれません。


すみません。できれば私をリプ欄から外してお話いただければ…


同意です。そのために必要なのは国民国家の概念を超えた、なおかつかつての「反グローバル」を超えた共感・共闘になると僕は考えてます。

ありがとうございます。
自分が言いたいこともまさにこれです。

なるほど、これもわかります。
主張されているのは再生可能エネルギー、この場合は風力・太陽光を用いての新たな里山の開発と維持による副次的な温室効果ガス削減、またそれの大規模産業化ですね。
これによって資本主義のロジックを用いての再生可能エネルギーへの転換を目指すべきということでしょうか。
再生可能エネルギーへの大規模な転換を目的にするこの手段は非常によくわかる一方で自分はこれに加えて電力需要そのものを削減する、つまり資本主義のロジックである無限の成長を止める必要もあると考えています。

いえ、風力でも太陽光でも発電は「副次的」ではなくて「主幹」であって、新規の事業や産業です。

それを林業の衰退で手に負えなくなった過疎地で展開することで活性化や復興を図る仕組みです。再エネが入ることで、また循環出来るようになるのです。地元主体で各地に成功例もあります。

それが資本主義のままだからダメだとすると何一つ変わることは無いでしょうし、「公正な移行」を活かすも殺すも地域住民や自治体、政治家や有権者の意思や努力次第だと思います。

ITやIoTの時代に電力需要がどこまで減るかは分かりませんが、再エネ100%社会であれば、火力発電のように発電に伴う自然破壊や環境汚染、原発の過酷事故による大惨事も免れます。

最初のEVや温暖化懐疑論の話と繋がりますが、そういった議論もまだ日本では未熟なままなのです。政治や経済を立て直すには、そこまで問題を掘り下げる必要があります。


すいません、副次的というのは里山の開発と維持(森林の育成と材木などの利用での二酸化炭素の固定化)による温室効果ガス削減にかけたものです。
ただ仰っているような過疎地でお金が循環する仕組みをつくることで活性化や復興を狙うというのはよくわかります。
村上敦氏のキロワットアワー・イズ・マネーにもありましたね。

そして僕が止める必要ありと考えている資本主義の問題点は「無限の成長を求める」ことです。
なので定常状態の経済の中での再生可能エネルギー発電100%への移行に資本主義のロジックを組み込むことにはむしろ賛成しています。
決められた範囲内という規制をかえてそのなかでの効率的な資源の利用を実行させるとき資本主義のロジックは非常に優秀ですから。

それで温暖化懐疑論の根本ですが、僕は無限の成長が不可能であることの提示だと考えています。

古くはローマクラブの成長の限界であり、最近だと経済成長と温室効果ガス排出のデカップリングが不可能と示されたこと、これらによって不都合な真実となった地球温暖化を否定するようになった。
僕はそう見ています。

なるほど、おっしゃることは分かりました。

自分も「脱成長」すべきだと思っていますし、一貫して資本主義を批判しています。ただ、今はとにかく走りながらいろんなことを実現していかなければ間に合わない時期だと思っているので、何がいつどう成功するかは分からないですし、そこまで先は読めないです。

「温暖化懐疑論の根本」は言ってみれば、化石燃料業界の「無限の成長」ですね。温暖化すると知っていながら世間に嘘ついて半世紀以上も生き延びてきたわけです。そのデマを拡散する重要な役割が温暖化懐疑論者らの存在で、ご存知のように最近は再エネやEVを叩いて「システムチェンジ」を遅らせようとしています。

ですが、今日では世界中で化石燃料業界を相手に訴訟が起きているくらいなので、社会の変化や草の根の抵抗は続きます。

自分の観測範囲だとカリフォルニア州の裁判を知っています。
そういうことを加速度的に積み上げていって大規模なシステムチェンジしたいですよね。


私が最近懸念しているのは、反EVが日本における気候変動懐疑論の入口にならないかということです。
日本における反EVは「EVシフトは日本車潰し」「中国が裏で糸を引いている」といった、陰謀論と反中感情と日本凄いという名のナショナリズムが混合した特殊なものとなっています。そして反EV派の中からは既に「脱炭素カルト」など気候変動泰作への攻撃すら窺えます。
ヨーロッパやアメリカと違って現時点ではまだ大規模な政治運動にはなっていませんが、反EVきっかけにして気候変動対策自体への攻撃・非難を行う方向に傾かないかが非常に心配です。
もちろんEV化も例えば希少鉱物の採掘による人権侵害・環境破壊、現時点での技術では完全リサイクルが難しいなどの欺瞞とも呼べる点は幾つもありますが、脱炭素に向けて非常に重要である事実は変わりませんからね。

すでに「入り口」というか、朝日資本のabemaではCanonシンクタンクの杉山大志やひろゆきらが温暖化懐疑論を垂れ流し、再エネやEVを叩きまくっています。そういった視聴者層が確実に存在しているわけです。

これが「陰謀文化」です。

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