人が暴力を奮われているなどの悲惨な現実を前にして、助けるでもなくそれを徹底的に観察し、写真におさめたり、作曲したり、詩を詠んだり、絵を描く人間である事=真の文化人、芸術家だとする空気に、たまに猛烈にうんざりする。
創造の視点・視座の観点からは理解はできるのだけれども。
神にでもなったつもりでいると危ういよねと思う私は凡人。
あー、居心地が悪い。
オフレコは共犯関係を作る。「お前もそう思うだろう?」というやつだ。
荒井秘書官の差別を目にして行動しなかった朝日と読売は、たとえオフレコ会見の場にいる人数が少なかったとしても、差別を見逃した差別者の仲間だ。
クローズドな会見には言動を修正する機会でもある。「荒井さん、その言い方はないですよ」と諌め、その場で「言い方」を修正させることもできた。内心はともかく、公人の発言は撤回できる。これはオフレコのメリットだ。
撤回後に報じてしまえば、個人の内心に踏みこむことになる。重要ではあるけど、傍証を固めなければ報じなかっただろう。
わたしはスマホと普通のKindle、大型のKindle、iPad、そして紙と、いろんな方法で同じ本を読むんだけど、一番頭に入るのは大型Kindleで、頭に入らないのがiPhone。早く読めるのは紙。
面積にも関係してる気がするなあ。
スマホの読書が頭に入らないという研究
https://gigazine.net/news/20220203-smartphone-reading/
ショウペンハウエル君、辛口を通り越して辛辣!(笑顔)
XGいいな。ボーカルがとても好きだ。デビュー曲TippyToesもよかったものな。
これは大好きな曲TempoのClassic畑の人々によるリアクション動画。また改めて観ていて気づいた。
https://youtu.be/IK-JzEE_1Wg
今ハマっているプログレバンドのバンド名もそものズバリpolyphia。polyphonyをモジッたバンド名だと私は推測しており、彼らの曲の構造も正しくそうなのよね…
カバー動画を探すのも好きなのですが、これはすごい。
序盤の原曲のラテン味が消えている。
原曲に限りなく忠実に演奏されているのに何故だ。分からない。
https://youtu.be/8RosDxQIjf8
確定申告が嫌すぎてSNSに逃避しがちなこの週末…無駄がすぎる…
私の子どもの頃の実家だって母親は毎日人生に絶望して喚き散らし私に当たり散らして私をサンドバッグみたいにしていたけど(身体的暴力ではなく言葉の暴力で)外で働いて組合活動をしていつも午前様の父親の前ではそれやってなくて、あんまりあの2人が喧嘩したところや、母親が父親に文句言ってるところとかは、私は見た記憶がない。
大家族だったから他の大人の家族は皆、彼女が荒れ狂ってるのは目撃してて、周知の事実だったから(祖母はよく「またママちゃんのヒステリーが始まったよ」と言っていた)父親だってまさか全く知らなかった訳ではなかろうに、彼がそれにまともに向き合って話し合っていた形跡はない。彼女に向き合わされていたのは私だった。
それでもうちの父親は家事は割とやる方だったし、休みの日には家族サービスも過剰なほどする人だったけど、肝心の、一番大事な「妻子と向き合う」と言う役割はやっているようには見えなかった。いつも逃げ回っていたようにしか思えない。父親だけでなく母親も怒りを彼には決してぶつけることはなかった訳で、お互いに逃げ回っていたと言った方がいいと思うが。
ことほど左様に平均的な日本の父親って、そんな感じだったんじゃないか。どっか現実から遊離した夢の世界に生きてる連中が多い気がする。既婚男性の面接でも常にそれは感じる。
趣味:映画鑑賞、読書、陶芸、旅行
美術系高校・学部卒→デザイナー→経理財務