新しいものを表示
martha さんがブースト

空虚な自己肯定感ブームとか自己啓発ブームのせいで無意味に自分に自信がある人が増え過ぎだと思うね。自分は自分が思ってる以上に頭が悪いかもしれないっていうのを頭の片隅に常に置いておいた方が良いんじゃないの。

『獣の奏者2』序盤はヒックとドラゴンかと思うような展開だったが、終盤の飛躍が印象的。著者のあとがきを読んで、1を読んだ後の私の感想は概ね合っていたのかなと思ったが、2はさらにそこから個へ、他者との1:1の関係性へと向かうもので、胸をつかれた。
他者を意のままにコントロールしようとすることは支配であり、そういう行為からイノベーションやクリエイションはうまれてこない。
読む前にタイトルだけを見た時、嫌な感じを受けていたが、この嫌な感じは恐らく的中している、ような気がする。物語は完結しているが、続編3以降も読むつもり。

スレッドを表示
martha さんがブースト

子を産めば働けず、働けば産めず、女はクリスマスケーキと言われ(※)、保育園は足らず、男社会では追いやられ、内面化して順応するか選択肢は与えられず、まともな性教育も与えられず、リプロダクティブ・ヘルス&ライツなんて大半が聞いたこともなく、生まれた子に障害があれば女のせいにされ、または強制不妊手術をされ、異性婚で子を持つことが普通とされ、そんな社会を作って来たのはあんたらですけどーーーーーーーーーー。

※クリスマスケーキのように24日(歳)に価値の絶頂を迎え、25日(歳)を過ぎたら見向きもされないという例え。当時、普通に言われていたし、内面化させて焦る女性も多かった。

スレッドを表示
martha さんがブースト

私は一時期、学会発表のスライドに音楽をつけるということを始めたことがあって、これは00年代初頭の欧州でとても評判になった。音楽の力で、無味乾燥な科学的成果がたちまちドラマチックになってしまうのである。それは雑誌のインタビュー記事にさえなった。

そのときに気がついたことだが、人間の脳は実にうまくできていて、音楽の雰囲気やリズムと、コンテンツをほぼ自動的に脳内で調整し、シンクロさせて全体を受け取る。音楽を精密にコンテンツと合わせる、という努力はあまり必要ないのである。それを観客が勝手にやって「感動」してしまう。にもかかわらず、「あんなにうまく合わせるなんて!」と、一種の天才扱いになる。

これは、作る側にとっては密かにとてもラクな話なのだが、作用、として考えたときには人間は音楽にとても騙されやすい、ということになる。

スレッドを表示
martha さんがブースト

あらためて周知。(Fedibird固有機能)

全文検索で自分以外の投稿も検索対象にしたい人は、設定を変更してください。

検索OKになっている投稿が全文検索できるようになります。

※ 安全側に寄せてあり、通常のMastodon同様、許可した投稿以外は検索対象になりません

ああっ、元の投稿が見当たらない!再読して確認したかったのにー。

スレッドを表示

polyphiaの曲はtrapのリズムを使っているのにグルーヴがないのは何故なのか、というようなニュアンスのコメントをしばしば目にしていて、私も言われてみればそうだな?と首を傾げていたが、そういうことか…。

まぁだからこそ煽動に使われやすいんだろうけど。教授がことあるごとに“音楽に共感するなんて鳥肌が立つ”と仰られているのはその事をよくご存知だらかでしょう。

この投稿を読むと元気が湧いてくるな〜
もう打算している時間さえ残されていない実感があるし、切り替えていくー

大島渚つながりで、
大島渚賞審査員、黒沢 清(映画監督)のコメントを思い出す。
pff.jp/jp/news/2021/02/oshima-

「いろいろあったけど、よかったよかった」となる映画が多すぎる。
本当にいろいろあったなら、人は取り返しのつかない深手を負い、社会は急いでそれをあってはならないものとして葬り去ろうとするだろう。
人と社会との間に一瞬走った亀裂を、絶対に後戻りさせてはならない。あなたがささやかに打ち込んだクサビは、案外強力なのだ。
よかったよかったと辻褄を合わせる必要なんかどこにもない。
「たかが映画だろう」と周りは言うかもしれない。
しかし映画とは何だ?ぼんやりとみなが想像するものだけが映画ではない。
表現の極北から見出される鋭い刃物のようなクサビで、人と社会とを永遠に分断させよう。これら二つが美しく共存するというのはまったくの欺瞞だ。
このような映画製作に挑む若者を探している。それは大島渚が切り開いた道であり、決して閉ざしてはならないと思うから。

都市部に住んでいると、人間関係しかない世界にとじこめられがちになるので、意識的に離れないと。数ヶ月くらい山小屋に籠もってスノボだけする生活がしたいわ。

漫画家に右派が多いというのを目にしたが、全然驚かない。むしろそうだろうね…という感想しか浮かばない。美術界の保守ぶりを体験していれば容易に想像がつく。

martha さんがブースト

「あなたの感想」や「お気持ち」が無価値で利己的なものとして嘲笑され、「ロンリ」だけが尊重に値するかのような風潮が本当に嫌いだし、危険だと思う。そういう人たちが「ロンリ」のつもりで出してくるものは、たいてい単に屁理屈であったり、デマだったりする。要するに自分の都合の悪いことを否認するために「感想」「お気持ち」という名称で相手の言葉を無効化しようとするのだ。
感想や気持ちとは別の軸で動かなければいけない場合も勿論あるけど、感想や気持ちがとても重要なときもあり、両者が複合的に存在しているのが日常であり社会だ。「あなたの感想」をシェアすることの豊かさを知っているから読書会のような場が古くからあるのだし、「お気持ち」を共有して癒しや気付きを得る機会がなければ、一人で絶望的、あるいは暴力的な思考に追い込まれてしまうことだってある。
だいたい、人間は現に思考と感情をもっているのだから、「感想」や「気持ち」をまったく無視した論理というのはそれこそ机上の空論である。「それってただの屁理屈ですよね」なのだ。
他者の感情や思考をないがしろにするのは論理的でもなんでもなく、不誠実なクソ野郎にすぎない。ああいう人たちがやってる不誠実であればあるほど〝勝てる〝ゲームをさっさとやめないと、ますます愚かで悲惨な社会になっていく。

martha さんがブースト

女性を消費するようなコンテンツが批判されるとき、作品に喚起されて具体的な犯罪が誘発されることを危惧しているというより、作品が体現している価値観や認識が現実社会の価値観や認識に影響を与えることを危惧している。
女性を客体化、モノ化する視点が受け入れらられることによって差別が助長・矮小化される、暴力が暴力と認識されなくなる、犯罪が犯罪と思われなくなることを問題にしていると思う。
例えば、強引なキスから恋が始まる展開が違和感のないものとして描かれることで、性的同意が軽視さる/性暴力が暴力と認識されなくなる、児童(未成年者)を拉致した犯人との"恋物語"が"純愛"として受け入れられることで現実に起きている児童への搾取が矮小化されてしまうなどなど。
つまりフィクションが個々の「犯人」に与える影響というより、ひろく社会の価値観・認識に与える(与えている)影響に対しての危惧であり批判だ。
まずはそこをきちんと別けて考えないと意味がないと思った。

スレッドを表示

去年は精霊の守り人シリーズを大人になって改めて読み直し及び未読の巻を一気読みしたが、大人になってから読み返した『精霊の守り人』は、歴史修正主義についての話だと思った。これはご本人も文庫版のあとがきにて仰られていましたが。

ついでに、私も社内政治は嫌いです。仕事の邪魔wしかし嫌でも放り込まれているので嫌嫌つきあうという消極的参加?態勢

スレッドを表示

意図的に参加しないという選択肢は人間が生きていて果たして可能なのかね?と長い間疑問に思っている。私の祖父は猟師だったのだが、猟師として山小屋にこもっていた期間は可能だったかもしれないが、それでも山の管理や猟師組合には加わっていたし、戦時中は狙撃隊だったようで政治に強制参加させられていた訳で、本人の好き嫌いや意思の有無など関係なく放り込まれているのが実態なのではないかと思うのだが。その事に自覚的か無自覚か、はあるだろうけれども。
まぁ私の個人的な意見です。

スレッドを表示
martha さんがブースト

労働者よ団結せよ。クソ労働環境を変えるために

以前、話の流れでふいに聞いてみたら「政治は大嫌いだから参加しない」って鼻で笑われた事があったが「いや、好き嫌いというより、毎日やってるじゃないですか。派閥作って社内政治とか。」って言ったら気まずい沈黙が流れるなど、実生活で問いを投げかけてみての失敗も数多あり。まぁそういう事もあるよね…ってないか…?あはは

スレッドを表示

SNSより実生活で話をするタイプだが、相手が何を考えているのか私が一方的に知りたいだけで、自身の主義主張をぶつけたり、相手と分かり合おうなどとは思っていない。理解に苦しんでいるので言語で説明して私に教えてほしい、という感じ。相手を変えられるとは思わない。

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。