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今の時代、世界を愛することは非常に難しく、だから自殺志願者を止めてはいけないし、反出生主義だって批判できない、という空気を強く感じている。
でも本当にそれが正しいのだろうか? 「絶望も一種の特権だ」とか言うつもりはないが、なにか思考の罠のようなものを感じる。

『箱庭の巡礼者たち』恒川光太郎、読了。美しい物語でだいぶしんどい。

面白さとか怖さとか、凹むぐらいの衝撃が無いと結局心には残らないんだよな

『箱庭の巡礼者たち』、おもろくてちょっとずつしか読めないな?

人間万事塞翁が馬、禍福は糾える縄の如し

せめて感情を捕まえたいが、それとて何らかの暴力だろう。アウシュビッツ以降すべての詩は野蛮である・

逆張りで醜いものを描くとかそういうことじゃない、美醜の判断・区別自体が暴力的だと言っている

描きたいものがない。人の顔もつまらない(結局ルッキズムだ)

急にテンションがぶち上がってしまった

いま欲しいもの:アンモナイトの化石と人魚のミイラ

前から思ってたけど「殺し屋」って、「屋」ってついてるのなんかかわいいよな。おもちゃ屋さん・お花屋さん・お魚屋さん・殺し屋さん、みたいな……。

近所にハンバーガー屋さんとドーナツ屋さんが欲しい

あらゆることにモチベーションが無い、虚無

物語の感想とかをネタバレ防止しつつそこそこの分量で一発投稿できるのは楽だなあ

最近の呪術廻戦についての感想 

初期の虎杖と宿儺って善と悪の対立で、虎杖がかなり善性の強い性格な一方で宿儺がかなり邪悪な性格をしてたんだけど、最近はそういう虎杖/宿儺の対立構造が無化されて、むしろ虎杖/伏黒の対立構造が前景化してるっぽいんだよな。

虎杖は善性をこじらせて自分を蔑ろにする(自己犠牲的な)傾向があって、自分の事を部品だと定義したり宿儺への「人を傷つけてはいけない」の縛りに自分を入れてなかったりしていて、その結果として宿儺が伏黒に転移してしまう。
で、後に宿儺の中の伏黒を起こそうとした際に伏黒に生きる意思が無かったというのが、それまでの虎杖と伏黒の関係を反転した構図になってるわけで。

だから今後虎杖が自分を大事にできれば、例え宿儺を倒せなくても前を向いたエンディングになるし、逆に自己犠牲の精神のままだと宿儺を倒せても悲壮感のあるエンディングになる。

かずくん さんがブースト

Threadsを見ていたら
「ここ10年くらいでインターネットは過去の情報をアーカイブ化したり文脈化したりするのではなく、目の前の刺激に急激に反応してはすぐに忘却されていくという、より消費速度の早いマスメディアみたいな場所に急速に変化してきているような気がする。」
という投稿が流れて来て、ここ10年くらいなのかは分からないけど、俺がインターネットを始めた25年前くらいの時は個人が少しずつ持ち寄った情報が集積されて誰でもアクセス可能な膨大なアーカイブが誕生すると思っていたのだけど、いま過去の事を検索しても運営者が居なくなったりなど様々な要因で過去のデータは綺麗さっぱり無くなっていたりで紙に印刷された情報よりも耐久性がないのかもと愕然とするこの数年ですわ。

かずくん さんがブースト

BT

北海道恵庭市の牧場が、45年間、知的障害のある方3人を水道もないプレハブに居住させ、ほぼ奴隷のように無報酬で働かせて、彼らの障害者年金まで横領していたという事件。

この牧場主(4年前に死去)は、恵庭市の市議を5期務め、市議会の議長までしていた人物。
調べると、「日本会議」の「恵庭支部」支部長もしています。

本当にとんでもない事件ですが、この牧場主の息子は裁判で「本当に彼らにとって我が家での生活をしていたことが毎年つらかったのか疑問に思っております」とか言っているということなので、「温情をもって接してあげた」つもりなのでしょう。

なんか、自民党の地元名士みたいな市議の家がこういうことをしていたというのが、もう、なんと言えばいいのか言葉を失います。

やはり、彼らにとっての「家」というのは、頼れる人のいない弱者を「我が家」に住まわせて無報酬で自分たちに奉仕させてあげるところということなのでしょう。 [参照]

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