エルピス…に感じたのとわりと同じことを思い出している
分からない人にはわからないのかもしれない、もしくはそんなんどうでもいい人はたくさんいるのかもしれないな…
トランプがやった議会襲撃の扇動をほぼ丸ごとなぞったブラジルのクーデターには、トランプとその支持者が残したのと同じ兆候がSNSにあらわれていたし、政府も国際機関も警戒を強めていた。
しかしfacebookもTwitterもクーデターに使われてしまった。
今読んでるThe Chaos Machineで報告されたケースと全く同じだ。
イーロン・マスクは凍結されてた右派の活動家に恩赦も与えて、クーデターを後押ししてもいる。ほんとひどい。
https://www.politico.eu/article/brazil-violence-social-media-lula-bolsonaro-riot-insurrection-coup/
→ 昨日の投稿に続けるけれど。
Colaboへの攻撃を「リベラルエリートに対する民衆の反乱」と評した人がいるとかで鳥板で問題になっていたらしい。
その評価自体がものすごく的外れなのは言うまでもないけれども、でも、「リベラルエリート」をどんどん拡大して、様々なマイノリティの人権擁護の主張に対する差別的・反動的な抑圧を「リベラルエリートがそうではない人々を見下してきたからだ/耳を貸さなかったからだ」と言う形で擁護するパターンは、2016年くらいからずっと続いているよねと思っている。
このタイプの「リベラルエリート批判」はいわゆる「新自由主義批判」のひとつの形でもあることには注意すべきで、新自由主義の批判はもちろん必要だけれども、それが実際に欧米で排外主義や女性や性的少数者の抑圧に吸収・利用されていることも、忘れるべきではないと思う。
「イーロン・マスクはソーシャルネットワークを成長させた。もっとも彼が望む形ではないが」と題された記事。
内容は題名の通り。
マスクの買収はマストドンを育てた、というもの。
身から出た錆だとはいえ、自身の資産を50兆円、テスラの時価総額も120兆円ほど吹き飛ばしてしまったマスクにとっては苦い記事だろうな。
とはいえ、コストパフォーマンスは悪い。
マスクは買収で4兆円の出資を受け、2兆円の借金をTwitterに負わせているけど、そんだけマストドンに回ってれば、AutomatticのWordpressばりにマストドンサーバーを持てるサービスができただろうし、DeepLもMailgunもタダで使えたかもしれない。モデレーションセンターもThereIsHelpも、ActivityPub専用のCDNだって開発できただろうからなあ。
https://www.nbcnews.com/data-graphics/twitter-owner-elon-musk-driving-user-growth-mastodon-rcna62832
文春オンラインに寄稿しました。
ドラマ『エルピス』について。現実の出来事をコラージュして「私の物語」を語ること、という観点から書いています。
https://bunshun.jp/articles/-/59864?utm_source=twitter.com&utm_medium=social&utm_campaign=socialLink
私はかつて志摩一未ほど伊吹藍のことを愛してないから演者のスキャンダルを許せなかったのかもしれない、私には愛が足りないのかもしれないと思ったこともあったが、私は羽野麦にあんなふうに同棲を持ちかけられる世界にただひとりの、こんなにもフィクショナルな男である伊吹藍のことを守りたくてたまらなかったんだと思うとやっぱり今でもまだ残念な気持ちを思い出すんだよな。
ドラマ本編はあれ以来ほとんど見てません。ふたりのことは今でも好きです、だからいつまでだって私は怒ってる。
事務所の対応が決まるのを待っていたかのようにキャラバンが再開してこれを最後とグッズを売り切りミニカーを出した局にも情は残ってないよ。そりゃこんな世間なら黙ってやり過ごすのが最善の策だよね、わかるよ。勝手に消費して金儲けしなよ。私の伊吹藍はそこにはいないからいいよ。好きじゃなくなれたらいいのに。
女性を消費するようなコンテンツが批判されるとき、作品に喚起されて具体的な犯罪が誘発されることを危惧しているというより、作品が体現している価値観や認識が現実社会の価値観や認識に影響を与えることを危惧している。
女性を客体化、モノ化する視点が受け入れらられることによって差別が助長・矮小化される、暴力が暴力と認識されなくなる、犯罪が犯罪と思われなくなることを問題にしていると思う。
例えば、強引なキスから恋が始まる展開が違和感のないものとして描かれることで、性的同意が軽視さる/性暴力が暴力と認識されなくなる、児童(未成年者)を拉致した犯人との"恋物語"が"純愛"として受け入れられることで現実に起きている児童への搾取が矮小化されてしまうなどなど。
つまりフィクションが個々の「犯人」に与える影響というより、ひろく社会の価値観・認識に与える(与えている)影響に対しての危惧であり批判だ。
まずはそこをきちんと別けて考えないと意味がないと思った。
たとえどんなに今が最高でも、変わっていく未来が全然見えなかったとしても、伊吹藍なら行きたい方へ潮目を読みながら時には風に逆らってでも軽やかに飛躍していくイメージがある。そのとき想起されるのは眩しい光の中へ迷いなく跳びこむ背中で、志摩一未は少し距離を取ってでも背中ではなくその横顔を見ていたくてアクセルを踏む
それは異動かもしれないし結婚かもしれないし、404はやっぱり家族でも友達でもなかったのだけど、どんなに伸びても切れない糸があって、それは時々消えてしまったように見えるときもあるし場所にも制度にも保証されないものだから時々手入れが必要なんだけど、ふたりにとって絶対に切ることができない糸だってちゃんとわかっている
しごおわ!!! Twitterのインプレッション表示が不快で不快で不快で仕方ないんですけど非表示にできたりする??????!!!!
いや改めて目にするとすごい。有害さがすごい。ヘイトに関しては「こんなに見られてるんだ……」っていう絶望が増すし、政治やヘイトへの怒りのツイートに関しては「これほど見られていても反応はこれだけか……」の絶望が湧くじゃん。私は湧くよ。
『より反応されるように』という表現の方向に加速していくよね。物事を発信するときに重要視される要素から、『事実を、そして感情をできるだけ正確に伝えること』が転落していく気がする。も〜〜〜駄目。
MIU404の最大の矛盾は6年前たぶんヒラの機捜隊員だった桔梗さんがゆたかをひとりで産んでどうやって育てながら働き隊長までキャリアアップを果たしたのかってことですよね…出産前に班長まで行ってて上坂の事件の時はたまたまイレギュラーで陣馬さんと組んでたか、桔梗さんが班長で陣馬さんがヒラだったとか??ねぇよなそれはさすがに。
なのでハムちゃんの存在、桔梗さんとしては匿ってあげてるけどものすごい助かってたと思うのよ。それまでゆたかを昼夜問わず保育園や託児所にお願いしながらなんとか一人で夜勤ありの仕事してたはずだから。それって桔梗さんにもゆたかにもものすごいタフな状況で、より責任の重い、緊急時に替えのきかない立場に昇進するのを躊躇うには十分すぎるから。
桔梗さんとハムちゃんの間に流れる戦友としての空気感には、対エトリだけじゃない生活を共に営み子どもを育てるものたちのパートナーシップみたいなものも見ちゃうんだよな私は…
兼業主婦の日常雑多アカ、ドラマ等感想、ごくたまに自分のためのお絵描きも放流します ポリコレとフェミニズムとタフネスをそろそろきちんと装備したい弁えない成人✳︎✳︎✳︎フォローリムーブご随意に、ご縁のある限りよろしく