『送り雛は瑠璃色の』を今さらながらに読んだ理由は、作者が後書きで天沢退二郎さんの短編集『闇の中のオレンジ』を引き合いに出していると知ったからなのだった。今読んでこの箇所がよく理解できた気がする。(「送り雛」本編よりも「夢草枕、歌枕」が天沢さんの詩に近いとも感じた)

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それで記憶が甦って(黄泉帰って)きたのだが、数年前今は亡きワンコの金之助を連れて沖縄旅行に行き、首里城近くの"首里金城の大アカギ"を見にいった時に通ったあの急坂ももしや「ヒラ」なのではと思ったら、まさに「金城坂 (かなぐしくびら)」という名だった! sakagakkai.org/profile/Okinawa

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『民俗地名語彙辞典』は文庫化されるにあたって4割が削除されたということを思い出し、手元にあった単行本版を確認したら、やはり「ヒラ」の項目にも削除箇所があった。沖縄本島では急坂を「サクフィラ」といい、首里城近辺にヒラがつく坂道があるという。

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角川大字源で「崖」の古訓を引いたが、「ヒラ」の訓みは載ってなかった。

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「アイヌ語でヒラはピラ(pira)で崖の意であるから、ヒラの語源はアイヌ語とする見解もあるが…むしろ日本語がアイヌ語に移入されたとみる方が自然である」とあるので、知里真志保『地名アイヌ語小辞典』(北海道出版企画センター)を引いてみたら、「朝鮮語のピラ(崖)と関係があるかも」とあるな。

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「黄泉比良坂が”ヨミ(黄泉)のヒラ(崖)サカ(境)”であることは疑いようがないと思われる」とする架空の文献の引用があり、「平」とも用字されるヒラが「崖」を意味する可能性はあるのだろうかと疑問に思ったのだが、『民俗地名語彙事典』(ちくま学芸文庫)を引いたら解決した。

雨の前 (「ビフォア・ザ・レイン」という映画好きだった)

2周目。万葉集第九番、額田王の莫囂圓隣歌を本歌取りしたというこの歌の「射立為兼」の部分の訓み、ちょっと気になったのだが、上代語の「立たす」だとすれば、「いた立せりけむ」じゃなくて、「い立たせりけむ」になるんじゃなかろか。誤植が直ってないのかな。

ジーとなり続ける丸型蛍光灯の下で、外の風の音だけ聞きながら昔の本を開いたら一瞬だけ昭和に帰ったような気持ちになった。

まだやらなきゃいけないことあるのに逃避してる。

「なだらかに左右へ続くその丘の、むこうは次の丘陵、そのむこうはまた次の丘陵、そのまた向こうは次の…丘また丘、丘また丘、こうしてはるか彼方の地平線まで、ちょっとみただけではかぞえきれない丘陵の稜線が、右から左から、重なりあって、波のように続いているのだった」(6頁)

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「『もう1つは』とルミが、右手のひとさし指で、九十九谷の北の一点をおさえた──『この、白鳥神社のすぐ南、九十九谷ぜんたいが、ひと目で見おろせる』」(『オレンジ党最後の歌』209頁)

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