個人的な印象だけれど、玉城知事が琉球諸語でスピーチしたり、Twitterでドクソリプを琉球、沖縄ルーツにつけて琉球諸語で言い返された人らって「何言ってんの?」「日本語で話せよw」みたいな捨て台詞を吐いていることが多い。
他の地域の言葉だと「全然何言ってるのかわからない」と「面白おかしく」テレビ番組の「ネタ」扱いしているのはよく見る。
どちらも関東方言を基準とした見下しや揶揄という差別意識が共通されているが、琉球諸語への悪罵って「日本人なんだから日本語話せよ」という悪意がより強い。そういう意識の奴らが積極的にクソリプしているわけだから「そう見えるのは当たり前」とも言えるんだけど……。
「嫌中」拗らせまくって「沖縄県は中国の手先」みたいな認識の奴もいるにせよ、「は?沖縄は日本でしょ」と言いながら「日本だと思っていない」のが透けて見えていて、和人の内面に植民地主義がバリバリに根付いていることを何度でも日々感じる。
語るに落ちてんじゃん、お前は琉球諸語を「日本語じゃない」って思ってんだろ?なら他の国を武力支配して同化を強制してるってことじゃないか。それを植民地支配って言うんだろ?
映画監督の是枝裕和は元々フジテレビNONFIXでドキュメンタリー番組のディレクターをしていた
最初に手掛けた作品『しかし… 〜福祉切り捨ての時代に〜』で扱ったのが、1990年に環境庁企画調整局長が自殺した事件
局長は国家公務員試験の上位合格者ながら厚生省を選んで福祉事業に一貫して取り組んでいたが、出向先の環境庁では水俣病の和解勧告を拒否する政府方針から患者と対立する立場に置かれた
ところが当時の北川石松長官は独断で水俣の視察を決断、長官再度と役所サイドの対立と、自身の感情との間で板挟みになった結果追い詰められて死を選んだのではないかと番組は推測する
タイトルの「しかし…」は彼が高校時代に書いた詩で、逆境に立ち向かう情熱が時と共に失われてゆく悲壮を綴った内容
彼の死後、同じ詩を走り書きしたものが死後に発見され、それは死の直前に書かれた可能性が高いものだった…と結ぶ悲しい内容
このニュースを見てふと思い出した
https://www.youtube.com/watch?v=ja1DYFSiuxw
きのこ。しろい。くろい切株が好物