あとまあ、こういうのは「意味のないものは排除しよう」につながっていくよね。そこは普通に危険じゃない?「古文は学校で教える必要が無い」とか「女子供に方程式やサインコサインを教えても意味は無い」とか、そういう手合はよくあるでしょ。で、それが結局「マネタイズできないものには意味がない」になくなっていく。やべえよね。
三田紀房の野球漫画は割と好きだったが、それ以外の漫画はマジで合わねえ、面白くねえわ、こいつは島耕作の作者みたいになりたいのか?江川達也二世を目指しているのか?と思ってしまうんですよな。
あ、政治は別よ?
自民党や維新は、損切りどころか、早く切らないともう手遅れな感じになっているので…。
これは、どっかに後でまとめたいと思いますが、「インベスターZ」の「つまらない映画は損切りする」について。
「つまらない」は、
1. 誰もが認める本当に心底つまらない作品(「幻の湖」「死者の盆踊り」など
2. 特定のシーンの違和感がひっかかって、それが除かれることは無かった作品(「ジュラシック・ワールド」「スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明け」)
3. 世間的な評価は高いが、自分には全く合わなかった作品(「シンゴジ」「ダークナイト・ライジング」)
この3つがあると思う。
確かに、つまらない映画を劇場で観てしまった時は「マジで時間を無駄にしたな」と思うかもしれないが、でもそれを言語化することによって「無駄」ではなくなると思う。
一時期、「GOEMON」「アマルフィ」を劇場で観る、といった非常に馬鹿で無謀だとしか思えないことをやっていたのだが、それは暇でお金があったからこそできた贅沢だったと思う。「アマルフィ」を観た映画館は、もう取り壊されて現存しないし、それがそこで最後で観た映画だったというのはどうなのか、と思うけども…。
だから、「つまらない映画は、途中で辞める損切りをつけよう」と言われても「うるせえよ馬鹿」と思う。
補選の結果自体はよかったけれど、有権者の投票行動をもっとも大きく変えるきっかけが「(自分たちは苦しいのに政治家は裏金を作っていて)ずるい」という感性なのだとしたら、それはそれで怖いなとやっぱり思っていまう。
この社会に暮らす、周縁化されがちな人たちのための福祉や、健康のための医療、あるいは障壁の解消のために要する予算に向けられつづける「ずるい」の感性と似たものを、わたしは自民党の裏金批判の風潮に感じ取ってしまう。
https://arab.org/click-to-help/palestine/
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「正しさに無関心になって、畜生どもがますます傲慢になるのを放っておく」(RAP AGAINST DICTATORSHIP「プラテート・グー・ミー」より)