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「好きな惣菜発表ドラゴン」というフレーズを最近よく見るなと思いつつ、調べずに放置していたが、正体がボーカロイド曲だったのすごい意外だった。(なんかそういうWebマンガとかキャラクターだと思っていた)

たかだ さんがブースト

BT コニー・ウィリスは単著が刊行されるようになったのは90年代初頭からなので、ビジョルドと同じくギリギリルールアウトです。原書の刊行年は80年代ですけれど。

コニー・ウィリスは定義を満たしそうと思ったけど、80年代に翻訳あったのかな

たかだ さんがブースト

お題:70-80年代に文庫が出ていて今も買える女性SF作家、ル=グウィンやティプトリー以外(鍵アカウントの話題より)
ケイト・ウィルヘルムとロイス・マクマスター・ビジョルドは今でも入手できますね。
逆に、一時は文庫で出たけど今は買えない作家はアン・マキャフリイやヴォンダ・N・マッキンタイア、ジョーン・D・ヴィンジじゃないでしょうか。
ちなみにマキャフリイやウィルヘルムと同世代人のキャロル・エムシュウィラーは、文庫では刊行されませんでしたが、2000年代後半に河出と国書で短編集が出ています。しかも国書は本を断裁しないのでまだ在庫が生きている。
kokusho.co.jp/sp/result.html?w

ラブジョイが『存在の大いなる連鎖』の最初の方で、哲学の抽象的な問題はたまに文学を経由して人々の感情を大きく動かすことになります(ロマン主義は庭園に影響を与えました)という話をしてるんだけど、反出生主義は現代の代表的なそれなんだよな。

荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』を読んだ。
読んだ理由: 『不夜島(ナイトランド)』がおもしろかったので。
『不夜島(ナイトランド)』よりは粗削りな感じだったが、楽しめた。過去の歴史を抹消した国家で、国連職員が病気の謎を解いたり反出生主義テロと戦ったりする。

ヴィム・ヴェンダース監督『アメリカの友人』(1977年)を見た。 

ヴィム・ヴェンダース監督『アメリカの友人』(1977年)を見た。原作はハイスミスのリプリーシリーズだけど、『太陽がいっぱい』の映画版とは関係ないっぽい。
原作は未読だが、ハイスミスの長編は基本的に「人間が腐っていく話」(悪へと堕ちていく話)が多く、これも、リプリーが純真な中年男ヨナタンを悪の道に引き込んでしまう話である。
一方、ふたりの中年男の間に発生する友情とか、その中にあったほのかな暖さみたいなものが描かれている。
よくこんな嫌な話をこんなに美しく描けるなと思った。

マーク・スタインバーグ(著)、中川譲(訳)、大塚英志(監修)『なぜ日本は〈メディアミックスする国〉なのか』これすごいいい本だな。新書みたいなタイトルで新書版で出てるが英語の研究書の翻訳。キャラクター文化論に関してちょうど知りたかったところがまとまっている。

丹下左膳シリーズは戦前からあるので時代劇では普通か。

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ハリウッド映画で続編がバンバン作られるようになったのは意外と新しく『ゴッドファーザー』あたりからという話を聞いたことがあるし、実際続編ものって70年代以前にはほとんどないのだが、ゴジラシリーズは結構昔から続編作ってるよな。日本映画だとシリーズものってあったのかな。

ミュソッフの本は、エメリッヒ版ゴジラとかの頃に書かれているので「ハリウッド版ゴジラは残念だった」という話が中心。一方近年のハリウッド版ゴジラははために見てもゴジラ理解度が非常に高いんだけど(日本人が見ても引くくらい平成シリーズを完コピしてたりする)、あれは作り手の世代の問題なのかな。

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ピーター・ミュソッフ(著)、小野 耕世 (訳)『ゴジラとは何か』を半分くらい読んだ。タイトルは『ゴジラとは何か』なのだが、内容はどっちかというと「アメリカ人にとってゴジラとは何か」という感じ。アメリカにおけるゴジラ受容について論じている。
要するに、カウンターカルチャーの象徴だったんだという話なんだけど、「なんでアメリカ人ってあんなにゴジラ好きなんだろう」という謎が解ける好著である。

ダルコ・スーヴィン『SFの変容』を読んでいたら「オールタナティヴとしての島」という章があって、軽くおもしろいなと思ったのだけど、あまりにも微妙なおもしろさなので、おもしろさが伝わりづらそう

そういえば、このあいだハッと気がついたんだけど、映画『戦慄怪奇ワールド コワすぎ!』の空に浮かぶ胎児って『2001年』のスターチャイルドのパロディだったのかな

『サユリ』白石晃士監督なのか。これは楽しみ
sayuri-movie.jp/

「間違ってない」けど「変」でイメージしてるのは、典型的には日本の繁華街をブレードランナー風に撮ってるやつね。映像の質とか撮り方の話なんだから、別に「間違って」はいない。

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『ブラック・レイン』見たときも思ったけど、よく「勘違い日本描写」みたいに言われるやつ、厳密に言うと、明確に間違ったことは描いてないことも結構あるんじゃないかなとは思う。単に日本人が思う日本の姿と違うから、違和感があるだけで。
例えば、『エンド・ゲーム』に出てくる日本は変だけど、間違ってるかというとあやしいと思う(『ブラック・レイン』もわりとこっちよりだろう)。なんかその辺「変」と「間違ってる」がごっちゃになってる人結構いそうで気になっている。

『ぷりぷり県』ってSFかなあ、SFじゃない気もするけど、似たような路線である火星シリーズはまあSFだよなあ「小春日和」名作だったなあ、みたいな思考をたどっていた。

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「小春日和」は火星人の父と娘の嫁入りの話で、小津安二郎パロディなんだけど、ジェンダーSFでもあって、めちゃくちゃ好き。
(これは吉田戦車の火星シリーズの一貫した設定なんだけど火星の「嫁」は、われわれが思っている「嫁」概念と違う)

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なんかふと吉田戦車の「小春日和」という短篇のことを思い出していたのだが、「小春日和」収録の短篇集『タイヤ』の新装版が2010年に出ており、収録作が増えているということを知った。
amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/

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