明日の文学フリマ東京に花島照子さんとの二人誌「花と青」で出店します。ブースは第一展示場R-31です。今回は在庫僅少の既刊を売り切る形になります。どうぞよろしくお願いします……!
学会から帰って倒れるように眠り続けて知るのが遅くなってしまったのですが、経口中絶薬10万円はひどすぎる、リプロに関しての自己決定権を蔑ろにしているとしか思えない…… #中絶薬が10万円はありえない
SNSの投稿は散逸しやすいこともあり、掲載誌の発売から時間が経ちましたが、以前Twitterとマストドンに上げた「現代詩手帖」2023年3月号に寄稿した「分かれ道——フェミニズムとハンマーの共鳴性」の註釈のはなしをまとめ直しました。文章全体のモチベーションや「アイデンティファイ-する」という表現について追記もしています。
https://note.com/namitominatoto/n/na29cd8b1f396
@NagareKoori@nattois.life
書いたものに感想をいただけるのはいつでもうれしいです……!詳しいご感想もほんとうにうれしいです……!
応援のことなのですが、クィア理論に従事する人は現実に生きている人たちの実存を無自覚に踏み荒らしてしまわないかどうかを問われる立場だと考えているので、問われる立場で応援を受けるのがどこか過分というか、ありがたすぎてしまう気もする、ということでした……!うまく言えずにすみません……。
わたしも、生存と連帯をし続けられたらと思います。反差別を掲げる作品や文章で世界を溢れさせたいですね……!
@NagareKoori@nattois.life
読んでいただきありがとうございます……!
あの文章で書きたかったことはいろいろあるのですが、なによりもフェミニズムが内包しうる排除性によって生存を脅かされている人たちの生存を切り開きたくて書いたものだったので、ご感想がほんとうにうれしいです。
わたしの仕事はどちらかというと、規範や差別的な構造に生存を脅かされている人たちに向けて応答することにあるように感じており、応援していただくのはなんだか恐縮ですが、うれしいし、気持ちがとても引き締まります。ありがとうございます。
研究室の心理的安全性の話
今年度からたとえばクィアな表象などについていくぶんか込み入った話ができる程度には個人的な信頼を寄せている人が研究室の助教になり、助教とはいえなにかあったときに相談しても大丈夫だと思うことのできる人が研究室の運営に関わっていることで心理的安全性がぐっと増すのを感じています。とはいえ、心理的安全性を損なっているのは研究室の教員のトランス差別をはじめとする諸々の発言なので根本的解決には至らないのですが……。
(前の助教の方への不信感があったわけでは一切ないけれど、初対面からの3年間研究室がほとんど閉じているのに近い状態で運営されていたので最後まで人となりを掴めずにいた、かつわたしがするような相談は相手の価値観を見極めつつすることになる類のものだったので難しかった)
MON/KUの新譜よすぎる、爆音でも聴いてみたい
https://music.apple.com/jp/album/momoko-blooms-in-1-26d/1679145936
Dembroffの "Beyond Binary: Genderqueer as Critical Gender Kind"について紹介した「二つでない性別を生きる人たちは性別をどう捉えているのか?」(『世界最先端の研究が教える すごい哲学』所収)の最後の見開きの転載をもとに、この定義ではフェミニストは全員ジェンダークィアになる、とジェンダークィアのカテゴリーの抹消しようとするツイートを見ました。(拡散になるので引用はしませんが、すごい哲学でサーチをかけると当該の転載があり、それにつらなる引用ツイート)
それは「ジェンダークィアとは性別二元論に抵抗する人たちを指し、この抵抗とは二元論の外にあるジェンダーを感じることや望むことから生じる」の後半部分を恣意的に読み落とす、あるいは二元論の外にあるジェンダーがあると感じ、そこをみずからの安らう場所として望むことがどんなことであるかをひどく軽視することによって成り立つものだ、ということをひとまず書いておきます。
ただ、どうしてデンブロフがこのように定義する必要があったのか、ということを書けなかったことがこのような反応を可能にする部分はあり、全訳と解題を出せるものなら出したいです……。
バトラー、文芸 │ nonbinary(they/them)・asexual│ 文芸同人誌「花と青」 https://researchmap.jp/aomoto-yuzuki