これで最後にしますが、フェミニズムの担い手のアイデンティティなりポジションは「女性」であるべきだとは私は一度も言っていないですし、フェミニズムに関わる全ての人を女性というひとつのカテゴリーに投げ込んで包摂するべきとも言っていません(包括とか包摂とかの言葉遣いがどこから出てきたのかわかりませんが、私は使っていないと思います)。そうではないよねということは最初のスレッドですでに書いています。 https://ohai.social/@akishmz/109829224764476845
ひとつのラベルのもとで同質性を担保することで連帯が可能になるというような、私が一度も言っていないというかむしろこの数年に渡ってそれは違いますよと書き続けてきたことを、私が言ったように書くのはやめて欲しいと思っています。
ただそれとは別に、自分の考えていたことを「フェミニズムの主体」という言葉で表現したのは用語の選択が適切ではなかったし、それに気がつかせてくれた方達には感謝しています。 [参照]
わたしもこれで最後にしますが、非常に多様な「女」というカテゴリーのどこか/どれかに掠った人がフェミニズムの主体になる、という表現はその反面として、フェミニズムの主体になる人は(それがいかに開かれたものとして想定されていたとしても)「女」のカテゴリーと重なる部分を持つということを意味するのではないでしょうか。それは結果として「女」のカテゴリーに入れられることを望んでいない人まで巻き込んでしまいうる/そのような人たちの排除につながりうるとわたしはどうしても考えてしまうのですが……。(そのような増殖的な取り込みのイメージから包括や包摂という語が念頭に置かれたわけですが……)
いまわたしがなんとなく考えていることは、主張の両側でバトラーが参照されつつも、もとのスレッドで引用されていた部分の直後の部分である
>おそらく逆説的なことだが、「女」という主体がどこにも前提とされない場合にのみ、「表象/代表」はフェミニズムにとって有意義なものとなるだろう。(竹村訳26頁)
の部分の解釈が異なり、それが考え方の違いになっているのかもしれない、ということです。
BT 清水さんのトゥートの「そのくらいのこと」が指すものが具体的に、わたしがドキュメントで書いたバトラーの話なのだとしたら、むしろ清水さんがずっと「そのくらいのこと」を強く前提にして書かれてきた/話されてきたと読者や学生として思っていて、しかし今回のトゥートの内容は「そのくらいのこと」と両立しないように思われ、そのことがドキュメントを書く出発点になっています。
「女」への一元論はノンバイナリーの抹消では
自分が授業を受けている人が「女」への一元化によってフェミニズムの主体を「女」だとする発言をしていて、しかし、わたしにとってそれを表立って指摘することは全く「安全」ではなく………研究室の指導関係などでは全くないけれど、分野の権威として一定の認知を得ている人なので、正直なところ三浦俊彦のケースよりもしんどいかもしれない……
トランス差別反対の立場をとっている人の排除的な発想と結びつく語用を見たときのはなし
きょう人と会って、その人が買った反トランス差別ZINEを持ってきてくれていてうれしかったのですが、その後その人から「男性の体」という言葉が出てきて、頭が真っ白になってしまった……。三浦俊彦氏をシスジェンダーの男性として位置づける意図でなされていて、その人の中では排除的なものではなかったのだろうけれど……。わたしが修士のときいっしょに『ジェンダー・トラブル』の読書会をやっていた人でもあったし、その人自身はトランス差別に反対する立場をとっているのでショックだった。
反トランス差別ZINEはヘイトへのカウンターの側面が強いと自分では思っているのですが、差別全般に反対という枠組(インターセクショナルな視点を持つ上でこれは重要なのですが)の中でトランス差別に反対している人のなかにしかし排除的な発想が残っている……というケースにどうアプローチしていくかも考えていかねばな、と思いました。
>あらゆる差別の問題に共通して言えることだが、このように制度によって公然と差別が行われつづけている状況そのものが、差別の対象となる人たちへの潜在的な暴力である。
https://note.com/namitominatoto/n/nf71eaab32bf2
同性婚や性的少数者に対してここ数日公然と行われてきた差別についての怒りの日記です。
12月13日に総合法令出版より出た『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に「二つでない性別を生きる人たちは性別をどう捉えているのか?」という題でDembroffの"Beyond Binary: Genderqueer as Critical Gender Kind"を紹介する文章を寄せました。おそらくビジネス教養として出版される本で、だからこそ、当事者の一人として、ノンバイノリーの人たちのことが知られるようこの文献を選びました。手に取っていただけると幸いです…!
現代の哲学が実践的な次元でどのようなトピックをカバーしうるのか、ということを見るうえでも非常に面白い本だと思います。どうぞよろしくお願いします🙇♀️
バトラー、文芸 │ nonbinary(they/them)・asexual│ 文芸同人誌「花と青」 https://researchmap.jp/aomoto-yuzuki