旅行支援自体は否定しないし自分だって安く金沢旅行いきたいなって気持ちはあるけど
今回の「初動対応が異常なほど遅くて」「SNSはボランティアは邪魔の大合唱で」「今でも体育館で寝泊まりしている人が沢山いる」っていう状態で今やるべきことなのか?て思う
旅行支援単体に対する疑問じゃなくて、これまでの流れの中で、対応が遅れまくってるにも関わらず"復興"の段階で出てくるような「旅行支援」には違和感が強い
(このスピードで3月4月には良くなってるとは到底思えないし
オレが暗澹たる気分にさせられたのは、昨日市役所でテレビ番組のアナウンサーに話をしていた地元のおじさんの会話 税金を使って今までのような暮らしが出来るよう復旧したところで人がいなければ町として成り立たない、移住させるのかどうか政府や知事は早く決断して欲しいだと‥どうして庶民が税金のことを心配して、大変なら移住しましょうよ、なんて言うんだ?思考がまるっきり自民党に飼いならされてないか?自分はこの土地で生まれてないし特に愛着と呼べるほどのものは持っていないと思うが、それでも無性に腹が立った
最近ふと性別どころか「皮」も合ってないんじゃないかと思うようになった自分としては共感できる漫画でした。もっとたくさんの人に読まれて欲しい。
https://shuro.world/episode/38275/
「72時間の壁」という言葉は、ここを過ぎると生存率が下がるギリギリのラインってことなのに、「72時間までは放っておいて大丈夫」「72時間までは耐えられるだけの備蓄をしないのが悪い」と解釈されるようになったの、ほんと驚く。意味が変わってきてる。
「なぜ日本では床暖房が普及しないのか」という韓国の動画。
https://youtu.be/aKwoQcc7ntc
日本では1年に400人くらい家で凍死してるらしい。
昔の日本家屋が湿度の高い夏に合わせて通気性のよい材料で作られていることや、断熱性の高い石やコンクリートは地震に弱いとか、日本の家が寒さに弱い構造にならざるを得なかった理由を紹介してるけど、最後に日本の電気代が韓国の2倍以上というのを見て、サッシの基準がないのも含めて日本は人が健康に快適に暮らす権利が蔑ろにされていると感じた。既製のサッシのついた賃貸住宅で電気代を気にしながら暮らすような庶民が、寒かろうが暑かろうが知ったこっちゃないんだろうな。
個人サイトサーチエンジンが新たに生まれてたりもするので、サイトもっと見てもらいたいな〜のひとは登録もぜひね
自民党は一生懸命国民を豊かにしようとして失敗したわけではないですからね。「日本人の給料は高すぎる! これでは国際競争力が維持できない!」と財界が泣きついて、自民党はそれに応えようとして、成功した。
「全市民にマイナカードを持たせたいなら、最初からカードを任意取得ではなく強制配布にする方向で、有権者に対し説明すべきである。はじめに、強制ではありませんよ任意ですよ、という出し方をしておいて、後からカードを取得しないと保険医療を受けられないような「制度」を作るのは詐欺的である。」
「こういうやり方を認めてしまえば、あらゆる施策に対し、この「任意の強制」を応用することができてしまう。さらに河野太郎は、「反対派はイデオロギーで反対してるだけ」などと、冷笑的なことを言い始めている。「任意の強制」で、一つのイデオロギーを国家が弾圧する未来は、それほど遠くなかろう。」
「「任意」のものが、なし崩し的に「義務化」されていき、やがて「国民の義務」として定着していく。義務なのだからマイナカードを用いた国の事業に「国民」として協力するのは当然で、非協力的な個人が行政サービスから排除されるのは自己責任である。それが政府が描くデジタル社会の姿なのだろうか。」
https://twitter.com/kinkuma0327/status/1738713519472902520
それなー。
安倍氏以下安倍派の議員たち、ずっと思ってたんだけど、彼らを表す1番の言葉って"やり過ぎ"なんだよね。とにかくやり過ぎる。NO配慮。
「ま、あまり細かいことは言わないけどそこは大人の配慮で」みたいな部分を「だってダメって言ってないじゃん!」と小学生の精神でめちゃくちゃに貪る。批判を浴びると「それ法律ですか?禁止ですか?書いてないんですけど」とこれまた小学生精神を発揮してゴネまくる。最後には「ダメって言ってないんだからいいことにしちゃおう」と、ここは権力者を発動して勝手に法律化する。数の力でやりたい放題。そしてまた「嫌なら選挙で勝てば?勝てないくせに」と小学生に逆戻りして挑発、嘲笑を繰り返す。
安倍氏の支配した10年間は、甘やかされたワガママ小学生が事実上の独裁者となって権力を欲しいままにふるった時代。その力を頼んで集まった同じく小学生精神の議員たち。
そりゃ日本も壊れるよね。だって小学生に任せてたんだもの。先のことは考えられない。叱られることは大嫌い。欲しいものは我慢できない。難しいことなどわからない。褒めてくれる大人は"良い大人"。
それを持て囃し続けた日本の10年。どうすんの、これ。
第二次安倍政権以降の日本社会を要約するなら「大っぴらに下劣愚鈍であることが全く恥ではなくなってしまった」ということになるかなぁと思う。「下劣愚鈍になった」のではなく、「それが恥でなくなった」というところがミソ。
もやもや
仕事柄出版情報に目を通すことがあるんだが、最近なんだかなあと思うのは、10代以下の子供に対して、上手に生きる方法とか株取引とか起業とかをすすめる類の本があること。お金の流れを知っておくことや騙されないように知識をつけることは大事だし、株も起業もそれ自体は悪くないけど(興味持つのは悪くない)、子供の頃からお金儲けやタイパコスパや成功のことに目を向けなくちゃいけないような、ことさらそちらに目を向けさせようとするような社会はおかしいんじゃないかな…