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私はけっこうお笑いが好きなんだけどな...即興で爆発的に笑える大喜利とか、情景が見えてくるくらいのコントが好き。

お笑い芸人が中傷を助長してしまうんなら、育成機関でちゃんと人権や悪しき歴史について満遍なく学べたらいいんじゃないか?というか、美大も声優学校もそれぞれの視点から文脈や歴史についてより詳しく学べたらいいよね。

要は全ての教育機関で正しく人権や差別について学べたらいいんじゃ...?

aki さんがブースト

さっきNHKで紹介してた、車椅子ユーザーがマジョリティで二足歩行がマイノリティになった社会を体験できるプロジェクトおもしろかった
天井は車椅子ユーザーにとって必要十分な高さなので「二足歩行障害者」は常に背をかがめているしかないし、当然レストランに椅子はなくて、当店は特別に高額の椅子を用意していますのでこれをお使いくださいと「配慮」されたりする
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二足歩行が「障害」で、車いすが「当たり前」? 障害は社会がつくる、を体感するバリアフルレストラン
note.com/team_dare_tomo/n/n2be

>>やって来たスタッフの方々は、私たちを見るなり表情を変えました。「あ…、二足歩行の方なんですね…今日は車イスはお持ちですか?介助の方はいらっしゃいますか?」。戸惑いと哀れみのような声を掛けられて感じるのは、なんともいえない肩身の狭さ。

入管の映像見た。神様目線?で極めておこがましい視点なのかもしれないけれど、複数人の人の目があっても収容されているひとを死なせてしまうのってシンプルにシステムとして欠陥しているのではないか。

人が見ているのに問題がスルーされて重大な事故(事故と言っていいのだろうか?)に繋がってしまうなんて機械の方がよっぽどマシなんじゃないかと思った。「人権について」の知識がインプットされていない。ああ、そうか。つまりこの国には人権教育がまともに行われていないって証明になるのか。

今日だけで、特権を持つ男性が女性に対してセクハラを行ったという報道が3件もあった。いや実際は報道にも至らなかった加害がもっと起きていたかもしれない。きのう何食べた?という漫画に対して、憤りに近い感想を寄稿した記事を読んだ。性的マイノリティをエンタメ消費して流行の一部として存在ごと忘れてしまおうとしている。文中の「骨も私のものにしたい」という言葉に思わず涙が出た。

力を持たない私たちはやっぱり連帯しなきゃダメなんだ。特権に相変わらず居続けて自分らの批判をかわすために弱いもの同士を戦わせて、卑怯すぎるあの人達を選挙という正当な手段で葬りたい。選挙に行く。

権威や才能を持つべきひと、という人物はいないけど社会と芸術に思慮深いひとは必然的に見合った地位にいるんだろうなとは思う。

坂本龍一の政治的な発信をネガティヴに思っている人が一定数いることに驚いた。そう思うひとは、なぜ「そう思う」のか自身と向き合って考えてみてほしい。

坂本さんの言葉が静かに浸透していく。この国で、まだ何十年も生きなければいけない私にできることは何だろう。

私が学び得た"自分の信じる正しいこと"を諦めないでいることで、自身の中に芽吹いている民主主義を血肉化したものにしていきたい。
neutmagazine.com/themall-3-ryu

読んだ。若者が抱える"生きづらさ"が沸点に達したとき私はこの国から離れることになるんだと思った。

「生きづらさ」とは自分が正しいと信じることを、私以外の要因によって曲げなければならないこと。それが繰り返され、自ら学んで掴んできた「正しいと信じること」すら疑うことになったらもうこの国では生きていけないと思う。現にこの国では、真実が嘘になり嘘が真実になるような事が毎日発生している。

james1983.com/2023/04/02/30yrs

aki さんがブースト

"ただ、ここまで憲法がないがしろにされ、民主主義の屋台骨が壊されているのだから、それを復活させる、再構築することが市民の急務で、その行為を通して民主主義が血肉化したものになっていく可能性はある。最近よく思うのですが、日本にはまだフランス革命が起きていない。こんなことを言うと歴史学者には笑われると思いますが。"
坂本龍一に聞いた、政治とアート。「ほんの少しの勇気でいいんじゃないかな。一度しかない人生なんだから」 neutmagazine.com/themall-3-ryu

aki さんがブースト

"ー坂本さんの眼から、今の日本はどのように映っていますか? 坂本さんがお住いのアメリカでは2016年にトランプ政権が誕生してから、アーティストの積極的な社会的発言が目立ちます。日本のアーティストとの社会的態度の違いはなんでしょうか?

こんなことを言っても生産的ではないかもしれないけれど、やはり犠牲を払って自分たちの力で民主主義を獲得してきた長い歴史をもつ国と、戦争に破れて他の国からそれをいきなり与えられた国とでは、それを守ろうという人々の意識や意志がずいぶん異なると感じます。だから、今の日本はどうしたらいいかというと、すぐ答えは出てこないのですが。"

neutmagazine.com/themall-3-ryu

形容できない喪失感を感じるたび、生をより強く実感する。

読んだ。Dry Cleaningは音楽好きの間で話題にあがったデビュー作から名前だけは知ってたんだけど聴いたことなかった。出自やルーツを知ると面白い、改めて聴きたくなった。

インタビュー中盤から政治の話題にシフトしていって、政治家の嘘がまかり通るようになったことへの憤り"Conservative Hell"を語っていたんだけど「あ〜ポップスやってるなぁ」と眩しくなってしまった。日本のポップスが漂白された大衆歌となっているばっかりに。

社会と歴史、街との関係性でバンドが成り立ってシーンが形成される感じは中々日本では考えにくいよね。

cinra.net/article/202302-DryCl

4月ですが、周りでバンド活動を終了する話をちょくちょく聞きます。各々の事情なので集団での活動は継続できない場合があると思うけど、どうして"音楽"活動も辞めてしまうのか?形を変え、頻度を変え、色々と試行錯誤して続ける道を探してほしいなと思う。

特に私は凡人クリエイターなので「天才」的な人達に対抗するにはもう、キャリアの長さしかないと思うんだよね。1分1秒でも長く現場に居ること、それに取り組んだ合計時間で勝負する。

早熟なひとに憧れて焦燥するのはしょうがない。でもそこで腐らずキャリアを続けていけば、いつかは何かしら成果がでるという根拠のない自信があって私は一生涯辞めないつもりでいる。

嘘とかつかない。なんかどうでもいい。

橋本愛さんの週刊文春の連載、あれは小さな希望だと思うんだけどな。「少しでも何かを良くしたい。成長したい」と思ってるひとがわずかでも確かにいる、そんな希望。

Everything Everywhere All at Onceみてからずっと亡くなった親との関係性について考えている。

aki さんがブースト

ちょっとこの辺りは気をつけた方がいいんじゃないかなと思っていた。そろそろ自分もふくめてTwitterから移ってきた人たちもマストドンに慣れてきて、少し煮詰まり始めている気配が何となく感じられるようになってきているので。
自分の発信の仕方やフィードの構築の仕方もふくめて、どんな姿のインターネットを構築したいのかを意識していかないと、対立ありきでの連帯が争いを産んできたTwitterの二の舞になりかねないと思う。

前撮影させていただいたアスリートで政治にも関心があり、いずれ出馬したいと考えているという選手がいた。それでどこから?とそれとなく伺ったら「参政党」と答えるのでびっくりしてしまった。

すごく誠実で行動力のあるひとなんだけど今の世の中を見て、よく考えた上で、なんで「そう」なるんだ...と落胆してしまった。

スポーツがナショナリズムと現実逃避に利用されるのを見るたびにすげぇ悲しくなる。私はスポーツの仕事が好きだし、スポーツを観るのが好き。スポーツの魅力を発信したいと思って仕事をしている。

組織運営側がスポーツの本来の魅力を見失った施策を恥ずかしげもなく実施したり、問題を改善していこうって姿勢がほとんど見えないからスポーツなんか観ないよって人が増えていく。私たちも「時代に必要とされなくなっていくんだろうな」って悲観的になっちゃうんだよね。

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