この玉川さんのコメントは素晴らしいと思う。その通りです。
https://twitter.com/jwyqlcnsu4lfav2/status/1615503103423557632?s=12&t=XfurutKu12586nfyCc4Mzw
ニート問題にしても、ケースワーカーが入るような社会福祉の問題であると俺は考えます。
ニートになるきっかけというのは、個々人様々で、つきつめていけばいじめによるPTSDであったり、うつ病に至ったり、なにかの障害であったり、障害グレーゾーンであったりするはずです。
彼らは心理的安全性が外の世界に存在しないから、家に引きこもって自分を守るわけです。
ややこしいんだよな。
私も成人した子どもがいつまでも親元にいることはあまり“本人にとって“プラスではないと思っている方だけど、それはベキ論ではないし、そのままだと自分の人生始まる前に老々介護地獄が待っていたりするし、親の病理から逃れられないで自分も行き詰まっている人は本当に多いから、極端に言えば、収入がないなら生活保護取ってでも実家からは逃げた方が良いよ、と個人的には思う。
それに社会全体をそんな状態なままにしているのは、むしろ自民党政権だよね。自分たちで若い人をそこに追い込んでおいて馬鹿にするって、一体どう言う了見なんだよ、とは思うよ。彼らの家族主義の病理もそこに大きく関わってるし。若い人たちは普通は何も言わないけど、心の中では常に親の介護を背負い込んでいるんだよ。だから、身動きできなくなってる人は少なくない。
例えば何らかの精神的な問題でずっと働けない状態が続いている人たちも、「こんな事してないで早く働かなきゃ。親も歳だし、自分がみてあげなきゃいけないのに、本当にこんなことじゃダメだ」みたいに心の中でずっと悶々としてたりする。「いやいや、親のことは本人たちや国に任せて、まず自分のことだけ考えましょ」って、聞いている方は思うけど、そこを切り離せないんだよね、ほとんどの人が。
RT @Albert_kokinji
いじめがお笑いのネタになる社会だからな。TVでそれを毎日の様に見て育った奴は、今度は自分が実生活でネタとしてやって見せて笑いを取ろうとするのだろう。荒んだ社会だ。
https://twitter.com/bernie_jrt/status/1615614694840205312
有田芳生氏が武谷三段階論を引用しているのは、対象認識における方法を意識していることを示している。大事なことだと思います。https://twitter.com/aritayoshifu/status/1559777169337122817?s=20&t=hCcVCTQFuqBGEIlxTdDiaA
そういえば昨日、成田悠輔『22世紀の民主主義』をパラパラ読んでみたが、成田氏はアルゴリズムとして機能する無意識民主主義を主張するけれども、そもそもpeopleの能動的な参加と討議の過程のない民主主義とは、たんに語義矛盾なのでは。たんなるよくあるデジタル先制主義なのでは。元ネタの東浩紀も、デモクラシーという言葉をあとで否定していたはず(少なくとも東氏の『一般意思2.0』はさすがにもっと複雑な議論をしていた)。どうも、日本の加速主義右派は、リバタリアンや新反動主義には行かず、みかけは左派的なものを擬装したうえで、楽観的なテクノフューチャリズムによって専制(国家)と格差(資本)を促進するというプロパガンダ(?)を取ることが多いような気がする。成田氏もリバタリアン的な脱出主義(逃走)は否定するのだよな。最小限のベーシックインカムだけ機械的に分配したらあとは放置しろ(ベーシックインカムで足りない医療やケアは知らん)、勝手にクリエイティブに生きてくれ、みたいな。
昨年辺りから、心の半分で、「日本」は緩やかに沈没し「日本人」という「国民」は絶滅していくのだ、という体感があり、それいらい何かがふっと楽になった。超少子高齢化がもはや後戻り不能点をとっくにすぎており、まともな経済成長や福祉国家が未来にありうるわけがない。その場合、一つの課題として、子ども世代将来世代への責任として、衰退し沈没していく中でこそ社会的な格差や排除は激化していくので、いわば「絶滅主義的正義」のようなものが目指されなければならない、ということ。それは人類史上で未曾有の試練であり実験に思える。廃炉ならぬ廃国家。国家の戸締まり。しかし心のもう半分では、依然として、ある種のオプティミズムがある。
溝の口駅のバスターミナルを通りかかったら、トラックがとまっていて、後ろにバスやタクシー、一般車両が通れずに並んでいた。なんだかすごくへんな感じがして、気になって、しばらく立ち止まって、見ていた。トラックには30~40代の男性二人。地味な私服。明らかにバスが通れずに困っている。バスのクラクションが一度、鳴らされた。荷物の積み降ろしでもなく、人の乗せおろしでもない。不思議なのは、後ろに通れない車がたまっているのに、トラックを動かすでもなく、焦っているでもなく、怒ったりしているでもなく、もちろん笑うでもなく、なんというか、「ただたんにそこにいる」という感じ。二人ともそういう表情。無表情というのですらない。本当に不気味だった。しばらくして、トラックは動いていった。あれはなんだろう、と不可解に思いながら、階段をあがって、改札前に出た。すると、疑問が一瞬で氷解した!→