“昭和の歴史をきちんと整理、清算する必要がある。何もしないから教訓が出てこない。「戦争反対」と言うのは教訓ではなく、感情だ。それで戦争が止まるのか。そういうことを「教訓化」し、私たちが変わらなければならない。問われるべきところは問い、反省すべきところは反省する。思想や政治の問題ではない。「なぜ戦争をしたのか」。それが昭和100年の大事な要点だ。”
“私たちの国造りの失敗は軍が政治よりも先にシステムを作ったことにある。”
“「戦争に行ったことがなく、鉄砲もピストルも持ったことはない」と伝えると、みんな驚く。日本を研究する米国の学者は奨学資金をもらうためにベトナム戦争に行ったが、いまだにトラウマ(心的外傷)に悩まされている。われわれはそういう体験をしなくて済んだ。そのことは財産ではないか。“
石丸伸二さんは昔の軍人と同じ…「恥を知れ、恥を」論法、口ぶり #保阪正康 さんが感じ取った「新しい戦前」
2024年8月14日 12時00分 #東京新聞
https://www.tokyo-np.co.jp/article/347302?dicbo=v2-4rWgQpl
書評(2023年10月、部分)
佐藤冬樹『関東大震災と民衆犯罪』
(前略)
「不逞鮮人の暴動」というデマを拡散して武装した自警団の出動を要請したのは警察と役所であり、虐殺の見本を見せたのは軍隊だった。しかし官憲が組織した(消防団や在郷軍人会などを主体とする)自警団は、地域に居住していた朝鮮人(女性や子どもを含む)をはじめ、警察署さえも襲撃してそこに保護されていた朝鮮人を殺害するまでにいたる。日本人であっても「日本人」だとわかった上で殺害している。彼らは「「不逞鮮人」と「善良な朝鮮人」の区別を拒んだのと同様、「朝鮮人」と「朝鮮人に似た人」も区別しようとしなかった」。権力によってひきがねを引かれた民族虐殺(エスノサイド)は、民衆の凄まじい暴力を爆発させたのだった。
国際問題に発展しかねない事態を前にして当局は、軍や警察による虐殺はなかったことにする一方、自警団にやられたのは「朝鮮人ばかりではない、日本人も」というストーリーを震災四日後から流布する。軍官民一体となったエスノサイドに「日本人も殺された」を並べることで、朝鮮人・中国人への虐殺を相対化しようとする意図的なすり替えだった。今も根強い虐殺事件のストーリーをあらためて検証する労作だ。
弟も家も失った、パレスチナ唯一のパラ選手 「ガザの人の声になる」
https://www.asahi.com/articles/ASS802QVGS80UTIL03LM.html
鍵なしだよ。
”
いま、在日コリアンに対する憎悪をむき出しにしたデモを街中で行う人たちがいる。排外の空気を感じるからこそ、伝えたい教訓がある。「大川署長は、暴徒に襲われてけがをした朝鮮人を病院で無料で治療させるなど、彼らを迫害から守ることこそ警察官の仕事、と確信して行動した。根底には、人を人として尊重するヒューマニズムがあった」と後藤さんは言う。
当時の日本人にとって、朝鮮人は植民地からやってきた「二等国民」だった。日本人と同等に扱うべき存在と考えることができたのは、少数だった。警察官が住民を守るという当たり前のことが美談としてたたえられる社会状況。その異常さにこそ、目を向けなければならないはずだ。大川署長は、その背後にある虐殺という歴史の暗部を照らし出す存在でもあるのだ。
”
百年前新聞の一年前の投稿から。
震災の混乱に乗じ、社会主義者や労働運動家なども
暴行、殺害などを受けている
https://x.com/search?q=since%3A2023-9-1%20until%3A2023-9-12%20from%3A%40100nen_%20社会主義者&src=typed_query&f=live
「1日午後3時ごろ、東京で「社会主義者と朝鮮人が放火している」といううわさが広がりはじめる。朝鮮人に関する内容は、初」
「2日(中略)「社会主義者と不逞鮮人が共謀して井戸に毒を投入している(芝、高輪)」などのうわさが広がる」
社主解説(9/4)
「被害は朝鮮人にとどまらず、中国人や、朝鮮人に間違えられた日本人にも及んでいるほか、警察・軍隊の一部はこれを好機とばかりに社会主義者・無政府主義者への逮捕、暴行をしている様子で、東京の治安は過去最低の状態にまで悪化しているとすら言えます」
社主解説(9/7)
「治安維持令では、犯罪を煽動し秩序を乱す目的でうわさを広めた場合、10年以下の懲役・禁錮または3000円以下の罰金と、重い罰条を規定。これは朝鮮人を守ることにつながる一方、社会主義者を「秩序を乱す思想の流布」と見なすことで処罰することも可能になります」
坂東から帰洛したみやこのムジナ