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演劇は、生きた人間が目の前に立っていることにより、小説に比べると反則的なくらい「リアリティ」を高められるので、そんでじゃあ何をするか、という感じがあってよかったです。

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“本作で特徴的な台詞回しとして、同じ内容をくり返したり、噛み合わない会話を延々続けたりといったものがありました。これを演じる難しさは、単に滑舌や台詞の暗記だけには留まらなかったはずです。「“自然な”言いよどみ」「“自然な”無意味な反復」「“自然な”噛み合わない会話」、まとめて言えば劇中会話としての「“自然な”不自然さ」を演じなければならない困難さがあるのではないでしょうか。フィクションの会話は、どんなディスコミュニケーションを描いていても、われわれの日常会話より遙かに洗練・整理されているのが常です(会話を録音して書き起こすとよい)。本作もそれは同じで、洗練・整理されているのですが、だからこそ、これを「自然に」かつ「不自然に」聴かせるのは、鍛錬のたまものであろうと思います。こういうことができるのも演劇という形態の強みですね。小説でやるとかなり前衛的になってしまい、ここまでの訴求力、エンタメとしての面白さは失われるでしょう。すくなくとも会場をドカドカ笑わせるのは、視覚・音声芸術ならでは、あるいは生身の人間がそこにいることの説得力ゆえと思いました。”

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会話については、最近、高校演劇を観ているときに演劇と小説の会話は違うにゃんね~(もっと言えばドラマや映画とも違う)と当たり前のことを思った事例がありましたね。

即効性のあるTips的なことでいうと、現実の会話では本来数ステップが必要なやりとりを、フィクションでは1ステップにしてしまうことで、読者が間を補完して「上手い会話」だと錯覚してくれる、というようなテクがあると思います。

おれが「ストーリーの前進に寄与する」会話について学習した教材は?→メギド72

たとえば、
・ストーリーの前進に寄与している
・会話自体にユーモアがある(漫才的な)
・設定の説明を説明に感じさせない
・実際に聞く口語のようなリアリティがある
とか「上手さ」の種類も色々あるわけで、具体的にはどんな「上手さ」なのか、種類が分かったならどこにそう感じるのか、……と一歩一歩やるしかないのではないでしょうか。ここでいうと、おれは現在、前の二つのポイントについて、スキルを伸ばそうという意識があります。

当たり前すぎて情報量が無のことを言うと、上手い会話文の何が「上手さ」なのかを考えて、それを再現できるようにするのがよいのではないかと思います。

だんだん、それは小説で考えろという感じになってきたので、小説で書くこととします。

犬にとっての文学(フィクション)やタコにとっての文学は存在するはずですが、人間には理解できないので、理解できないもののことを理解できたフリをしても仕様がなく、やるべきは人間にとっての犬やタコにとっての文学を考え続けることじゃないのかと思います。

人生を生きる人間が作り、人生を生きる人間が受け取る以上、あらゆるフィクションは人間と人生についてのものにしかなりようがないのでは? と思っており、それは呪縛であり解放ですよね。

人間への強い関心、向ける先がなかったのでひたすら自分に向け続けた結果、底を掘り抜いて括弧書きの「人間」への関心として結実した感じがありますね。

人間への関心と社交性に特に相関性がないということがわかっていなくて、社交的で人当たりがいいな~と思っていた人と話したら人間に無関心すぎて泣いちゃった(泣いていません)経験が多々あります。いまは、人間への関心の高さが自分の伸ばすべき長所だと思っていますし、人間が大好きバトルでなら負けないぜ! ちゅう感じです。

小説書き書き人間としての自分の秀でたところを考えていくと、結論は、おれって人間が好きすぎる……というところに行き着くわけですね。

さすがにGOOD NIGHT というほかないぜ……

「隣の方からです」と枝豆や焼き魚や唐揚げが送られてきています。

常連しかいない平均年齢が還暦とかの居酒屋に紛れ込むと何が起きるかというと、皆さんが食べきれなかった料理をどんどんおれが食べることになります。

居酒屋で常連のおじさんの誕生日会が開かれており、無限にケーキのお裾分けが運ばれてくる。

自分以外の平均年齢が自分の倍ある飲み会がいちばんおもろいと言われています。

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